神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗。彼は少年法で守られ身元を明かされる事はありませんでした。その事は当時、大きな波紋も呼び、彼への憎悪から顔写真が出回る騒ぎとなりましたね。そこで気になる酒鬼薔薇聖斗の現在について徹底調査してみました。
神戸連続児童殺傷事件とは?
1997年5月27日、日本に衝撃が走りました。神戸市須磨区の中学校正門前に男児の頭部が放置されていると通報が入ったのです。この事件は瞬く間に日本中に知れ渡り、犯人は「一体、どんなヤツなのか?」と憶測が飛び交いました。
その残忍極まりない殺害方法や警察を挑発するような『声明文』や神戸新聞者に送られた『挑戦状』は当時のワイドショーやニュース番組でかなり取り上げられましたね。そしてついに酒鬼薔薇聖斗が捕まると、犯人が普通の中学生だったことや被害者の頭部が放置された中学校の生徒だったこともさらに日本国民を驚かせました。
ワイドショーやニュース番組では連日連夜、酒鬼薔薇聖斗こと『少年A』の素性についての報道がされていました。またこの頃から少年法のあり方についての論争も頻繁に起きるようになりました。それらの要素から酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが引き起こした『神戸連続児童殺傷事件』は日本史上に残る少年犯罪と言っても過言ではないですね。
少年法で守られた酒鬼薔薇聖斗こと少年Aのプライバシー
神戸連続連続児童殺傷事件の犯人は少年Aは中学生と未成年であることから名前や顔写真など身元が割れるものは完全に伏せられていました。しかし当時のマスコミはこぞって、少年Aの素性を明かそうとします。今とは時代が違い、インターネットもそこまで普及してなかったので情報源が限られていました。
少年Aの身元を割り出せば、視聴率や発行部数が飛躍的に伸びるためにテレビや新聞、週刊誌などが競い合うように少年Aの取材の幅を広げて行って行きました。そして少年Aの逮捕から1週間もしないうちに新潮社から創刊されていた『FOCUS』にて事件の経緯や詳細が少年Aの顔写真つきで掲載されてしまいます。
この少年法の理念に反したことはは各方面からものすごい反響があり、週刊誌のあり方について議論されたほどです。
事件から18年、元少年Aが神戸連続児童殺傷事件を語った『絶歌』の出版
2015年、酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aは事件の経緯や社会復帰するまでの課程を描いた『絶歌』という著書を出版。またしても世の中は大騒ぎしました。また自身のオフィシャルホームページを開設したり、有料メルマガを配信する行為は世間の感情を逆撫でしました。
このことから元少年Aの写真が出回ったり、住所や名前を特定しようとしたりと様々な動きがありました。18年間の間でインターネットが個人レベルまで普及した事により情報はネット上に溢れ、居場所を突き止めようとするものも現れたのです。そして幻冬社から刊行されている週刊文春が元少年Aの居場所を突き止め、突撃取材しました。
そこで現在の姿の写真が公開されましたね。気になる本名ですが小学館から刊行されている週刊ポストで『東真一郎』だと報道されました。居場所については埼玉県や東京都を転々としており、週刊文春が突撃取材した場所が東京都足立区なことから、絶歌が発売された当時は足立区の団地に住んでいたことが予想されていますが、現在はまた転居しており、詳しい居処は掴めておりませんね。
まとめ
ここまで酒鬼薔薇聖斗の写真などを詳しくまとめてきました。これからも週刊文春や週刊ポストからの続報があるかも知れませんね。今後の進展を静観しておきましょう。