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野村克也さん、亡き妻・沙知代さんへの愛を語っていた「誰もいない家に帰るって…」


野球をこよなく愛し、名捕手、名監督として日本プロ野球を牽引した野村克也さん。

プロ野球のヤクルト、楽天など4球団で監督を務め「ノムさん」の愛称で親しまれた野村さんが、

2020年2月11日、お亡くなりになられました。84歳でした。

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野村さんのプロ野球生活は激動の連続だったといいます。

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峰山高時代は無名の存在で、54年にテスト生として南海に入団。

3年目にはレギュラーに定着し、63年には52本塁打、65年には3冠王に輝くなど強打の捕手としてチームを支えました。

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大学野球の花形で華やかな巨人・長嶋とたたき上げの自身を比べ、

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「長嶋はヒマワリ。私は浜辺に咲く月見草だ」とたとえた名言でも知られています。

70年から選手兼監督としてチームを率い、73年にはリーグ優勝を果たしました。

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そんな野村さんは、実は球界の中でも”愛妻家”としても知られており、

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妻で17年12月に虚血性心不全のため85歳で死去した沙知代さんとはおしどり夫婦としてさまざまなメディアで登場していました。

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沙知代さんが亡くなった際にはそのショックは大きかったようで、

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約1000人が集まったお別れの会では、報道陣の前で、

私が窮地に立ったときも常に前向きで“大丈夫よ”の一言で救ってくれた。一言、ありがとうと言いたい。いい奥さんでした」

「まさか私より先に逝くとは夢にも思わなかった。(自宅で倒れた際の)最後の言葉も“大丈夫よ”だった。弱気は100%見せなかった。俺が死んだらこんなに集まるかな」と大粒の涙を流していました。

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その後も、テレビなどに出演していた野村さんは、亡き妻への「愛」を語る場面がありました。

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一人残された生活についてもさみしい思いを語るなどしており、

「何にもすることない。おいしいもの食べて、ゆっくり寝る。長生きの秘けつかなと思ったりもする」「嫌なことばっかり。誰もいない家に帰るってみじめ」などと言及していました。

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球界きっての名捕手・名将が世間を敵に回してまで寄り添い続けた“個性的すぎる妻”が先に逝ってしまい、これまで寂しい思いをしてきたという野村さん。

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「先に逝かれるとはね……」

「男は弱いものだと実感してるよ」といった愛のあるコメントは忘れられないものとなりました。

どうか天国で安らかにお眠りください。そして、最愛の妻、サッチーに天国で会えますように…。

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