日頃ニュースを見ていると例えば公的年金の支給額引き下げや生活保護費の引き下げについて生存権を侵害するので憲法違反だという主張で訴訟が提訴されたといったものが見受けられることがあります。生存権とは日本国憲法の下において認められた人権でありこの人権を侵害するという主張なのですが、このような主張は認められるものでしょうか。また、生命権という異なる概念との違いは何でしょうか。これらの点についてみていきましょう。
生命権の内容と問題となる場面、生存権との違い
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生命権とは、生命を享受できる権利、生命に対する権利であり、その他の表現の自由や職業選択の自由などの人権の土台となるものです。昔からある「命あっての物種」という言葉がその内容をよく表しているといえます。日本国憲法下においては第13条ですべて国民は、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、公共の福祉に反しない限り最大限尊重される旨が規定されています。この第13条を根拠として生命権が人権として主張されるのです。この生命権が問題となる点は、ずばり死刑制度に関する議論です。死刑はこの生命権を侵害しているので憲法違反ではないかという問題意識です。
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この点について、日本の最高裁は憲法第31条に何人も法律に定める手続きによらなければ生命若しくは自由を奪われないといった規定を裏から読むと、法律に定める手続きで生命を奪うことは想定しているとして死刑制度の在り方や内容はともかく死刑制度そのものが一律に否定されるわけではないという評価をしています。生命権の議論はこのような国が国民の命を奪っていいのかという問題の際に議論される概念であり、生存権というのは、この生命が奪われない状況にあるという土台がきちんとしている状態の上で、国民の生活について国がどのように配慮していくのか等を問題とするものなので一見同じように見えそうですが、異なる概念となるのです。
生存権の内容と問題となる場面
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このような生命権と異なる内容となる生存権は、日本国憲法第25条に規定されているすべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しており、そのために国は社会福祉等の向上及び増進に努めなければならないという規定を根拠とするものです。生活保護制度の創設及び支給などといった権利の性質として国の政策によって実現されていく権利という性質を有しています。生命権が主として国からの自由であるのに対して、生存権は国による自由という性質を有しているのです。家庭環境など様々な理由により生活が苦しい等の国民に対して国としてどのように配慮していくのかという問題なのですが、国民の側から見たらこの規定を根拠として訴訟ができるのかという点が議論されてきました。この点、この規定を国民に権利を与えたものではなく国の政策の方向性を規定したものという考え方がありました。
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これは権利ではないので訴訟で救済できないという考え方にいきつきます。また、権利であることを認めるとしてもこの規定を根拠として足らない給付額を給付しろとまでは言えず、制度が足らないという点を憲法違反として訴訟を通じて確認し、国の制度改正を求めるという考え方と、この規定を根拠として足らない給付をよこせと言えるという考え方とがあります。最高裁の考え方としては明確ではないのですが、最後の考え方は採用していないといえるでしょう。訴訟においては、この生存権の法的性質をベースにして様々な主張がなされているのです。この考え方を知っておくと生存権を主張する訴訟のニュースを少し深く理解することができるでしょう。
まとめ
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生命権は、命あっての物種という言葉のとおりすべての権利の前提であり、問題となるのは死刑制度で国が命を奪ってよいのかというのが主な場面であるのに対し、生存権は、国民の生活レベルを国が保障していくという内容で、主として、生活保護などの制度がこの国民の生活レベルという観点から給付額等が不足していないかという場面で問題となるものです。生存権は訴訟において主張されますが、その法的性質のとらえ方でどのような内容が主張できるかに差がでるのでこの点を理解しておくとニュースの理解が深まります。