卓越した演技力と、独特の個性で多くのファンを持つ女優、樹木希林さんですが、若い頃は別の芸名で活躍していたのをご存知でしょうか?1961年文学座付属演劇研究所に入所し、女優活動をスタートさせた時は悠木千帆という芸名でした。沢田研二さんのポスターを見ながら「ジュリーィィ」と悶えるセリフで人気を博した「寺内貫太郎一家」のおばあちゃん役はすごく印象的でしたよね。
写真: www.cdjournal.com
あの役の時はまだ悠木千帆さんだったのです。あの時30代前半だったにも関わらず、10歳以上年上の小林亜星さんのお母さん役で、見事な老け役を演じていました。当時の子供達は本物のおばあちゃんだと信じて疑わなかった程です。その頃の画像を見ると、確かに今よりは若いですが、年寄りになりきってます。それではなぜ悠木千帆という名前を改名してしまったのでしょうか?
写真: twitter.com/ma2_4_690531
それは1977年のテレビの企画で、オーディションに出すものがないからという理由で、自分の名前をオークションに出してしまったからなのです。芸名は20200円で飲食店の経営者に落札され、以降は樹木希林に改名しました。売るものがないからって名前を競売にかけるとは、思い切ったことをするものです。芸能人にとって名前を変えるということは、大きなリスクもあるでしょう。ましてやある程度の成功を収めているなら尚更改名するのは勇気がいると思いますが、あっさり元の名前を売ってしまうとはさすが樹木希林さんです。
写真: www.barks.jp
その後は、ドラマで共演した郷ひろみとのデュエット曲「お化けのロック」や「林檎殺人事件」がヒットし、若者にも人気を博します。女優としても確固たる地位を築き、今では日本を代表する大女優の一人です。そして何より樹木希林という名前はすっかり定着し、子供から大人までその知名度はかなりのものではないでしょうか。ちょっとポップなその響きと、同姓同名の人がいなさそうな個性的な名前は一度聞くと忘れませんものね。
写真: tr.twipple.jp
現在全身をガンに侵され、闘病中の樹木希林さんですが、相変わらず映画やドラマのお仕事をこなし、自然体で生きていらっしゃいます。何事にも固執しないその生き方こそ、彼女そのものだと感じます。
写真: matome.naver.jp
因みに、悠木千帆という女優さんは現在他にいらっしゃいます。オークションで競り落とした、飲食店経営者の方がある女優さんに無償で譲渡したそうです。ですから、その女優さんは2代目悠木千帆ということになります。偉大な女優の名前を継いだ2代目の方にも頑張って欲しいものです。