3月26日午前10時30分、萩原健一さんがGIST(消化管間質腫瘍)のために都内の病院でなくなったことを3月28日に所属事務所が発表しました。
萩原さんはドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などの作品で知られる実力派俳優であり、グループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルも務めていました。
萩原健一のプロフィール
本名:萩原敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日:1950年7月26日
没年月日:2019年3月26日(68歳没)
出生地:埼玉県北足立郡与野町(現・同県さいたま市中央区)
国籍:日本
身長:174 cm
血液型:O型
職業:俳優、歌手
ジャンル:映画、テレビドラマ
活動期間:1966年 – 2019年
「ショーケン」の愛称で親しまれ、一時代を築いた萩原健一さん。
所属事務所によると、萩原さんは2011年から闘病していたそうです。
先週、体調を崩して病院で診てもらった後、「月曜日にまた来るように」と医師に言われたが、25日に病院に行こうとして自宅で倒れてしまい、緊急搬送されたそうです。
本人の希望で病名の公表を控えていたが、容体急変により、モデルのリカ(理加)夫人に看取られて息を引きとったそうです。
萩原さんの遺志により、お葬式に関しては家族のみで営まれ、3月27日に都内の斎場で行われました。
最期を看取った理加夫人は、萩原さんの所属事務所を通して書面でコメントを発表しました。
「生前に、お世話になりました仕事関係の皆様、ファンの皆様に、心よりお礼申し上げます。これまで本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠るように息をひきとりました。今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます」
1967年、萩原さんが17歳の時に「ザ・スパイダース」の弟分バンドである「ザ・テンプターズ」のボーカルとして「忘れ得ぬ君」でデビューしました。
それからは「神様お願い!」、「エメラルドの伝説」などの大ヒット曲を生み出し、グループサウンズ全盛期を支えてくれた人物です。
ザ・テンプターズは1970年に解散しています。
1972年、萩原さんは映画の「約束」に助監督として参加した他、降板した俳優の代役として、岸惠子(86)の相手役を演じていました。
この作品が高く評価されたことにより本格的に俳優に転身し、同年に日本テレビ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事であるマカロニ役で俳優として大人気を得ました。
1974年には同局「傷だらけの天使」、1975年には同局「前略おふくろ様」と立て続けに連続ドラマに主演していました。
映画に関しては「八つ墓村」、「影武者」、「恋文」、「いつかギラギラする日」、「居酒屋ゆうれい」などの名作に多数出演しています。
2018年3月放送のテレビ朝日の2時間「明日への誓い」にも主演を務め、9~10月に放送されたNHK総合「不惑のスクラム」(全7話)にも出演していました。
プライベートに関しては1980年から女優のいしだあゆみ(71)と事実上の結婚生活を送っており、1996年にヘアメーク担当だった女性と結婚しました。
2006年に別れた後、2011年に理加夫人と再婚しました。
萩原さんご自身でも「嵐のように激しく生きてきた」と振り返っていたように、彼の人生は波乱に満ちていました。
1983年には大◯所持で警察に捕まり、1984年、そして2004年10月にも飲◯運転で人身事故を起こしていました。
2005年には降板した主演映画の出演料を巡ってトラブルを起こして警察に捕まえられ、懲役1年6月、執行◯予3年を受けて、事実上の活動休止となっていました。
3年後の2008年に活動を再開し、2011年にリカ夫人と“4度目婚”をしたのです。
二人は恋人つなぎで会見に現れるなど、物腰も柔らかくなり、「ショーケンが丸くなった」と言われるようになりました。
萩原さん本人も、「今まではジェットコースターのような人生だったけど、今はメリーゴーラウンドのようだね」、「愛してます」と、穏やかな笑顔で話していました。
昭和の名俳優がなくなってしまうのは、非常に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りしています。