お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士さんが3日に更新した自身のYouTubeチャンネルにて、お笑いタレントのカンニング竹山さんの壮絶な半生が語られました。
もともと、裕福な家庭に生まれたという竹山さん。
父が貿易業や食品工場を経営していたそうで、幼稚園にもベンツで送り迎えがあるほどの恵まれた環境だったそうです。
しかし「その会社が小学3、4年生くらいで潰れて。親父は知り合いのところに働きに行っていなくなって、母も社長夫人だったのにパート勤めで」と一転、貧しい生活を送るようになってしまったそうです。
それから約10年後、バブル景気で状況はまた好転。
「親父が土地ころがしで不動産を始めたんです。それでめちゃくちゃ儲かって、どんどん再建していくんです。軽自動車だったのが外車になったり、ボロボロだった家がどんどんキレイになったりして」と、元の生活を取り戻せたそうです。
しかし、またまた不幸が一家を襲いました。
「親父が52歳のときに、バブルが弾け出しちゃって。そのときの土地の商談で、焦げ付いていたらしいんですよ。それでもうヤバかったんでしょうね、脳いっ血で倒れて亡くなったんです」と、帰らぬ人になってしまったそう。
さらにそれからしばらく経つと、竹山さんと兄の元に一通の封筒届き、差出人は「福岡地方裁判所」と記されていたそう。
「俺の名前で13億の裁判が始まってたんです。兄ちゃんも、10何億の裁判が始まってたんです。当時は兄ちゃんも俺も就職してなかったから、自分の会社の社員に勝手にして。俺の名前を使って、ガンガン土地を転がしてたらしくて、ありえないじゃないですか?そこで福岡に帰って、家族で財産放棄(遺産放棄)をして、これやらないととんでもないことになるんで」と、壮絶な過去を振り返りました。
母が名義となっていた実家以外は、すべて手放すことになった一家だそうですが、そこで父が残した“開かずの金庫”の話題になったとそうです。
「あのクソ親父、裏金を隠したろ!」と息巻くなか、業者を呼んで開けたところ、「兄ちゃんと姉ちゃんの幼稚園時代の絵とか、僕が福岡吉本に入って新聞に出た記事とかが全部あって。あとは何にもなかった」そうです。
「兄ちゃんが金庫の前に座ってガーって探してました。それで、何にもないことがわかって泣き出したんですよ。そしたら一言だけ『クソ親父が…』って言ったんです。俺は兄ちゃんのその背中がたまらなくて、グーって泣いちゃって。でも東京に帰って考えたら『なんだあのエピソード!』ってなりましたね」と、笑いながら懐かしんでいました。
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