日本のロック界を魅了した、伝説のロックバンドの存在が、今なお受け継がれています。約2年半という短い活動期間でしたが、人々の心に大きな影響を与え、その風貌ははっきりと記憶に刻まれました。広島出身の矢沢永吉が中心となり結成したロックグループ、キャロル。
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ジョニー大倉と意気投合し、多くの曲を2人で手掛け、オリジナルとしての価値を見出しました。二人は作詞・作曲に全身全霊で臨み、たくさんのヒット曲に恵まれました。しかし、プロとしてのデビュー直前に、ドラムのメンバーが突如脱退したり波乱の幕開けでしたが、デビュー後は、月に一枚のシングルをリリースするという、異例中の異例なパターンでロック界を超スピードで駆け抜けていきました。
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コンサート会場も常に満員御礼で、歌手活動としては順風満帆。芸能界でのキャロルとしてのスタンスも定着し、パワフルかつエキサイティングそのものでした。強烈で独特のステージをファンの間に魅了していましたが、メンバー間での摩擦が徐々に生じ、残念ながら解散という結末を迎えます。リーゼントに革ジャンという個性的なファッションは社会現象にもなり、若者の間で大流行しました。そのスタイルは今なお語り継がれています。キャロルの解散ライブでは、特殊効果用の火がセットに燃え移り、キャロルの電飾が焼けて崩れるというハプニングに見舞われました。革新的で大胆な演出と勘違いしたファンも多く見られました。
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ジョニー大倉の活躍もファンや業界に影響を及ぼし、作詞家としての才能が大きく花を咲かせました。日本語と英語をミックスさせた独特の表現は、大変個性的でユニークな内容が人気を集めました。けれどジョニー大倉は、いつの間にかドラッグの魅力に引き込まれ、精神的なマイナス思考が彼の行動を邪魔するようになります。キャロル時代に、関西でのコンサート直前に突然姿を消してしまい、関東の川崎市の病院で発見されます。発見場所が川崎という意外な場所での発見に、メンバーや関係者、ファンの人たちは理解に苦しみました。かなりの距離感のある場所で、どうやって移動したのか大変疑問です。ジョニー大倉やグループ内での確執が生じ、各々が積もり積もった感情により亀裂が起きてしまいます。
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矢沢永吉は、貧しい生い立ちで親戚中からもたらい回しにされ、少年時代はいじめも経験するという壮絶な過去を経験しますした。その為、ビッグになる事だけを夢見て人一倍奮闘努力します。高校卒業と同時に東京での活動を開始し、集めたメンバーでキャロルを結成します。その中の1人がジョニー大倉でした。解散後、ジョニー大倉は矢沢永吉に対して不満をぶちまけていましたが、実のところの本心は不明です。真相は神のみぞ知るという感じです。
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何年が後、東京でジョニー大倉と矢沢永吉が不意の再会をした時も、矢沢永吉が行きつけのお洒落なバーにジョニー大倉を連れて行き、楽しく飲み明かしたそうです。そのお店には、お客さんが誰一人いなくて、不思議がっていたジョニー大倉ですが、矢沢永吉がそのお店を貸切状態にしたという、ジョニー大倉への思い入れがあったようです。ジョニー大倉との絆を再確認し、熱い気持ちを表現したようです。
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ジョニー大倉の亡きあと、ジョニー大倉の息子の発言によると、矢沢永吉に対して違和感を持っていたようですが、それが好きとか嫌いとか言うような感情ではなかったそうです。二人の間の確執は、様々な人の誤解と固定観念によるものであったかも知れません。同じ時代を築き共に生きた二人のミュージシャンとしての熱い思いが、歴史の重みを感じさせ お互い戦友のような関係であったことは、非常に感慨深いものです。