今井メロさんは、スノーボードハーフパイプの日本代表選手としてトリノオリンピックに出場しました。しかし、良い成績に恵まれず、その後急激に悲惨な人生を歩んでいるとのことです。日本代表としてオリンピックにまで出場した今井さんが、ここまでの転落人生を歩んだ過程や、現在の様子をまとめていきます。
今井メロプロフィール
今井メロさんは、1987年に大阪府で生まれました。父親の影響で幼いころからスポーツ英才教育を受け、12歳という世界最年少でプロスノーボーダーになり、トリノオリンピック日本代表にも選ばれました。しかし、トリノオリンピック本番では、ミスの連続で惜しくも予選敗退という結果になってしまいます。その後は人生が一気に転落したと言われています。スノーボードを諦めた今井さんは、夜の街で働くようになったり、2度のデキ婚、離婚、流産など大変な人生になっているようです。
スノーボーダーとしての生活
今井さんは、アスリートになることが夢だったという父親の教育を受け、スノーボートを幼い頃から習い始めました。その後世界最年少でプロのスノーボーダーとして認定され、オリンピックにまで出場しましたが結果はあまり良いとは言えませんでした。父親のスポーツ教育はかなりスパルタだったらしく、今井さんはそんな父親を嫌っていたようです。父親と実の母親は今井さんが5歳のころに離婚し、その後は再婚相手と暮らしていたらしく、そういったことも精神的にストレスを受けたのか、中学3年のころに家でをするようになります。実際に暴力を振いながらの教育から逃れるために自ら児童保護施設に入所までしたそうです。しかしスノーボードはやめておらず、そのころに、世界ランキング1位に上り詰めました。一気に注目を浴びるようになった今井さんは、練習方法を巡って父親と対立、父の元を離れて実の母親の元へ行きました。その際に選手登録名も”今井メロ”に変え、新たなスタートを切りました。そして日本代表としてトリノオリンピックに出場するまで選手として成功しました。しかし、本番でその実力を発揮することはできず、予選敗退という結果で終わってしまいました。
転落人生の始まり
オリンピックでの成績が良くなかったことで1年ほど引きこもり生活を送った後、今井さんは家を飛び出してキャバクラで働くようになりました。稼いだお金はその分ホストに貢ぎ、性サービスの仕事までしたと言います。しかしこういった今井さんの生活が週刊誌で紹介され、リストカットを繰り返して何度が病院に運ばれたと語っています。その後は芸能界を目指しますが、ここでもまったく注目されませんでした。その後は2010年に1歳年下の一般人男性で当時飲食店従業員だった男性と結婚し、同年7月28日に長男の瑠偉(るい)くんを出産しましたが、出産後まもなく離婚しています。離婚後すぐに藤井裕一さんと同居をスタート、妊娠が発覚し2011年10月に長女を出産しています。この時子宮頸がんも罹患していたそうで、かなり苦労したようです。二人目の旦那さんとも出産後に結局離婚してしまいました。
プロスノーボーダー兼セクシー女優?
スノーボードの活動を一時休止してから11年ぶりに今井さんはスノーボーダーとしての活動を再開しました。その成績は良く、全日本選手権を優勝までしたそうです。しかし、注目されているのはスノーボーダー復帰ではなく、プロスノーボーダーの活動と並行してセクシー女優や舞台女優になっています。これについてはネット上では批判の声が多いようです。実際に2児の母親であるため、セクシー女優への転換は世間的にも受け入れられていません。ですが、セクシー女優としての活動はお金を稼ぐためのもので、本命は芸能界での活動だと言われています。まだ舞台女優としても実績がないので、セクシー女優としての活動まとまったお金を稼いでいるようです。
まとめ
世界最年少でのプロスノーボーダーとして小さいころから注目を浴び、そのせいで転落人生も暴露されてしまい、数々の苦労してきた今井メロさん。現在はまたスノーボードを再開し、その傍らではセクシー女優や舞台女優としても活動しているそうです。ネット上ではブーイングが相次ぎませんが、2人のお子さんのためにも頑張ってほしいですね。