「いきものがかり」と言ったら「日本国内で耳した事はない」と断言できる有名な音楽グループです。ギターやコーラスを担当する水野良樹さんと山下穂尊さん、そしてボーカル担当の吉岡聖恵さんで成立した男女3人のチームは2010年に放送されたNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌や2012年のロンドン五輪においてNHKのテーマ曲を手掛けて大ヒットしました。老若男女問わずに人気を博しましたが2017年1月5日に突然の活動休止を宣言しました。公式では「放牧」と表現していますが事実上の解散だと見なしている人は多いです。その原因は吉岡さんにあると言われています。
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◼︎「いきものがかり」の吉岡聖恵さんについて
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「いきものがかり」のボーカルを務めている吉岡聖恵さんが歌手となるきっかけは少々特殊でした。
もともと「いきものがかり」は水野さんと山下さんが結成したグループです。音楽活動を始めたのは1999年、当時フォークデュオである「ゆず」が大ブレイクして世間の注目を集めていた年でもあります。「ゆず」のメンバーと同じ出身地である水野さんと山下さんは「ゆず」ブームに便乗するかたちで路上ライブをしました。ところが「ゆず」ブームは凄まじく、彼らと同じように路上ライブをする男性2人組が次第に増えていったのです。この事に限界を感じて状況を打破するために2人は「幅広い年齢の人に聞いてもらうために女性ボーカルを入れたい」と考えるようになりました。
そうした作戦を持っていた水口さんにバンド仲間である同級生が妹を紹介します。
その妹が吉岡さんです。水野さんは彼女に希望を感じて山下さんに提案しました。一方、吉岡さんはというと兄に電話で呼び出されて当時の2人が相模大野駅前で行っていた路上ライブに飛び入り参加する事になったそうです。しかし元々路上ライブに興味を持っていた彼女はそのまま加入しました。
こうして「いきものがかり」結成されたわけですが、吉岡さんの存在はメジャーになるにつれて亀裂の原因になっていったようです。
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◼︎「いきものがかり」の吉岡さんは他メンバーと不仲だった
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2013年のバラエティ番組で水野さんは「自分たちメンバーはプライベートでは仲が良くない」と発言しました。これにより世間で「いきものがかり」の不仲が定着されましたが、実のところメンバーの不仲は2002年から始まっているようです。
2002年に吉岡さんは昭和音楽大学短期大学部に進学しましたが、そこで自分の歌が通用しない事に自信を喪失してスランプ状態に陥ります。そのため「いきものがかり」は活動休止になり、再開するために水野さんは説得を試みましたがそのたびに喧嘩していたそうです。それから1年後海外旅行から帰国した山下さんの説得で何とか活動は再開されますが、今度はメジャーとして成功していくうちにメンバー内のパワーバランスが崩壊したと密かに囁かれていました。
路上ライブ時代に水野さんと山下さんが考えた作戦はメジャーデビューした後も成功しています。
グループの花形として次第に吉岡さんは「いきものがかり」の顔になっていきますが「世間は彼女ばかりを特別扱いしている」と水野さんたちは語っていました。実際に事務所では吉岡さんに女優活動をすすめていたという噂があります。また3人のギャラも公平ではなかったという話もあり、亀裂の話題は尽きません。
それにプライベートで3人で会うのは1年に1回で、酒の力を借りて場がようやく盛り上がるそうです。もっとも酔った吉岡さんしかお喋りしない状況らしく、それで「仲良いか」と問われれば何とも言えません。
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◼︎まとめ
「いきものがかり」の活動休止について関係者は事実上の解散だと考えています。
その原因が吉岡さんであるかどうかは定まりませんが、少なくともメンバーの不仲が解散に関わっているのは間違いありません。元々「いきものがかり」の人気を支えたヒット曲は水野さんと山下さんが作曲したものであり、吉岡さんは作曲に携わってなかったと言います。その事に対してファンの間では思うところがあったらしく、今回の騒動を受けて「仕方がない」と冷静な反応を示しているほどです。確かに不仲になるほどのメンバーが長く続けられるとは思えません。それを考えると解散は仕方がないと言えます。