名女優の市原悦子が1月12日に心不全で死去しました。以前に「自己免疫性脊髄炎」を患っていることを発表していましたが、今回は市原悦子の生い立ちと生前の活動について総ざらいしていきます。
市原悦子プロフィール
本名: 塩見悦子
生年月日: 1936年1月24日
出身地: 千葉県
身長: 160cm
血液型: A型
市原悦子の生い立ちまとめ
市原悦子は、早稲田大学を卒業後、俳優座養成所を経て、1957年に俳優座に入団しました。デビューした年に「新劇新人推賞」を受賞。その後、芸術祭奨励賞(1959年)・新劇演劇賞(1963年)・ゴールデン・アロー賞(1964年)を立て続けに受賞し、新劇女優として高い評価を受けました。そんな市原悦子の代表作といえばやはり1983年から放送された「家政婦は見た!」でしょう。土曜ワイド劇場を代表する人気シリーズとなった同作は、その後約25年間にも渡って放送されました。
市原悦子の家族情報
市原悦子は、1961年に脚本家・演出家として活躍していた塩見哲さんと結婚しました。馴れ初めは俳優座養成所の同期として出会ったといいます。2人の間に子どもはいなかったそうですが、芸能界きってのおしどり夫婦として、夫婦二人三脚で互いの活動を支え続けてきました。しかし塩見哲は2014年4月21日に肺炎のため80歳で死去。塩見哲は肺がんが見つかり、その年の3月31日に手術。その後肺炎を患い、そのまま帰らぬ人となりました。
市原悦子が患っていた「自己免疫性脊髄炎」って?
市原悦子は2017年1月13日に所属事務所を通じ「自己免疫性脊髄炎」であることを発表しました。自己免疫性脊髄炎というのは、脊髄は頸髄(けいずい)、胸髄(きょうずい)、腰髄(ようずい)、仙髄(せんずい)からなりますが、このどこかに炎症が生じた時に脊髄炎といい、それにより運動障害や感覚障害に加え、膀胱直腸障害を伴うとされています。自己免疫性脊髄炎は再発する可能性が非常に高い病気で、復帰は難しいのではないか?といわれていました。
2019年1月12日に死去
闘病中であった市原悦子ですが、2019年1月12日午後1時31分に心不全のため死去しました。2018年3月21日放送に「おやすみ日本 眠いいね!」にて仕事復帰をしたものの、それが最後の活躍となってしまいました。日本の芸能界に大きな影響を及ぼした女優さんのうちの1人ですよね。ご冥福をお祈りいたします。