25年以上、沖縄県・西表島の北にある無人島・外離島(そとばなりじま)で暮らしてきた『西表島のターザン』こと長崎真砂弓さん(81)が昨年、“安住の地”としていた外離島を追われ、現在は生活をしている場所からも出て行くように求められていることが分かりました。
追われるきっかけは?
外離島を追われたきっかけとなったのはフジテレビの番組『めちゃ×2イケてるッ!』に出たことでした。普段から全裸姿で生活をしている長崎さんはテレビ番組に出たり、マスコミの取材を受けたりしてきました。これによって大勢の観光客が押し寄せるようになり、取材のオファーも来るようになりました。その結果、「のんびり観光地」だった西表島は一転してお祭り騒ぎとなり、土地所有者から「出て行って欲しい!」と言われました。
外離島を離れてからは?
外離島を離れてから西表島の北部にある「モクタンの浜」というところで暮らしています。ここは外離島からは3~4キロくらい南西に位置しており、集落もなければ、人も住んでいません。しかし、「モクタンの浜」は国有林であるため、林野庁の職員からも立ち退きを迫られることになりました……。
地元住民の声
「『めちゃ×2イケてるッ!』に出てからというもの、外離島は観光地になってしまいましたね。ダイビングやシュノーケリング、カヌーに行く人たちが物見遊山で長崎さんに会いに行くようになってしまったんです。もちろん、ごく普通の観光客もです。今から5~6年前までは、彼を訪ねて行くような人は少なかったのですが、あのテレビに出てからは、みんなが行くようになりました。長崎さんも有名人になりましたね。民宿のおじいも船で連れて行ったり、ダイビング船が寄るようになったりしたんですよ……。一番いけなかったのは、そうした訪問客が全裸になって長崎さんと記念写真を撮って、ネットにあげたことです。土地の所有者も、『こればかりは放っておけない!』ということになったんです……」(地元で暮らす50代の男性)
長崎さんの暮らし
長崎さんの”収入源”は福岡県にいる4歳年上の姉が月に一度送ってくれる現金1万円です。もちろん、魚は目の前の海で獲ることができるし、タケノコが採れる季節はそれをとったり、ニガナ(沖縄特産の野菜)やモズクなどもとったりしていたそうです。それでも何とかやっていくことができたと今から10年くらい前に長崎さんが話しました。
「2年くらい前から平和ということを考え始めたんだ。ここにいると平和だよ~。争いの元になっているのは、資本主義と宗教だね。でも、平和ということを考えると、釣りをすることさえもはばかれるよ。魚を釣るということは、魚の社会を乱すことにも繋がるからねぇ……。『もったいない』という言葉が流行っているけど、日本という国は、大量の残飯を出しているよね。これだけの残飯があったら、貧困にあえいでいる国々を救うことが出来るよ!!」
「ここは平和だよ~。誰に邪魔されることもない。日本人がダメになったのは、汚いものにフタをするようになったからなんだ。その反面、目に見えないものには弱い。O-157くらいで大騒ぎをしていたんだからね(笑)」
その頃、まだ長崎さんにもゆとりがありました。午前中に島に行くと夕方まで色々な話をしてくれたり、フルチン姿をカメラに収められることも気にしませんでした。頭に白いタオルを巻いてポーズを作ってくれたこともあったり、女性が来るとからかったりもしていました。しかし、天気のことに話が及ぶととっさに目つきが変わりました。
「自然というものは、本当に怖いよ。一番怖いのは台風。テントも何もみんな飛ばされてしまうんだ。NHKのラジオで流れる気象情報は必ず聞いているよ。生活は、すべて天気次第だからね。台湾の天気が1日後にこっちの天気になるんだ。聞き逃すわけにはいかないよ。人間は、自然をコントロールができない。自分の生活を自然に合わせることができなければ死んでしまうんだ!!」
外離島に行ったきっかけは?
長崎さんは福岡県の出身で、若い頃はカメラマンをやっていました。西表島に来てからは製糖工場などで働いていたが、人間関係が苦手だったため、外離島で生活を始めたそうです。最初は小さなテントを張って、そこで雨露をしのぎ、雨水を蓄えて飲み水としていたそうです。数年前には有志の人たちが木造で小さな小屋を建て、小さなボートを持っているので、肉や野菜、米、日用品などが必要なときは、それに乗って西表島にあるスーパーに買い出しに行っていたそうです。そのような時は服を着ると話しました。
地元住人の声
「まだそんなに騒がれていなかった頃は、ダイビングに行く人たちや観光客が生活用品や食料、おみやげを持っていったりしていましたね。長崎さんにとって一番いい時代だったかも知れません。そんなこともあって、月1万円でも結構やっていけていたようですが、有名になりすぎてしまいましたよね。今住んでいるところ(「モクタンの浜」)も出て行くように言われているみたいですから可哀想です。島でもどこか住めるようなところがあればいいのでしょうけど、タダでテントを張れるようなところはないですよね……。単に追い出すのではなくて、ちゃんと生活ができる土地を見つけてあげないといけないですよね」(地元で暮らす50代の女性)
まとめ
20年以上テントを張って暮らしていた人がかなりいたそうだが、孤独な生活に耐えられずに気が狂ったり、病気になったりしたケースも多数でした。これまでに長崎さんが一人でやってこられたのは、人並み外れた精神力と探求心があったからのではないのでしょうか。地元住民の女性が話すように、ひとりの老人に“安住の地”を見つけてあげることができなければ、日本という国の未来はどうなるのだろうか。