同じ会社で出会い、付き合い当初から転勤による遠距離恋愛を経て愛を育んできたある一組の夫婦。寝る時間もないほどハードな生活が続きそれでも共に時間を過ごしてきた2人に、ようやく神様からの授かりものが訪れます。しかし、その際に最愛のパートナーが放ったのは衝撃的な一言でした。
この女性と夫が出会ったのは2008年、大手メディア企業での同期だったそう。徐々に愛をはぐくむと、約2年後の2010年秋、晴れて入籍。女性が東北へ転勤をしていたため東北と東京での別居婚、週末婚となったそうですが、けんかもしないほど良好な関係が続いていたといいます。
またその2年後、今度は福島への転勤が決定。しかし、それから間もなく東北大震災が発生しました。福島の原発事故についてニュースで知ったそうですが、勤務先が一時閉鎖になることがきまり、東京へ戻ることに。そして予期せず夫の実家での同居生活がはじまりました。そんな時なぞの体調不良に見舞われ、病院に行くと判明したのは”妊娠”でした。
「今思えば入籍から3年も経っていましたし、子どもができても不思議はなかったんですけどね。ただ、どこかでひとごとのように思っていたんです。家族計画もまったくしていなくて、婦人科に同行してくれていた夫と2人、途方に暮れながら診断結果を聞いたことをよく覚えています」
妊娠に対する反応とはさまざまですが、泣いて喜ぶ男性もいれば、これからどうすべきかと悩む人もいます。しかし、2人で婦人科を出たところでこの男性が放ったのは「子ども、堕ろそうか」というショッキングな一言でした。夫はつづけて、「僕にはまだ父親になる資格はない」と。
その理由について「夫の父親は大手企業の役員を務めていたんですが、夫は父親の中に、“父とはこうあるべきだ”という理想像を持っていたみたいなんです。それに対して、当時の彼の収入は250万円。親会社と関連会社ということもあり、私と200万円の年収の差がついていました。そこに、夫のコンプレックスが隠されていたことに、当時の私はなかなか気づけなかったんです」と話しています。
結局話し合いを重ね、こどもは生むことになったそうで、その後三人で暮らせるアパートへ引っ越し、さらに女性はそれまでの激務の内容からゆとりのある職務へと異動をしたそう。そしてその年の秋に無事出産をし、これからは幸せな人生が待っているはずでした。しかし、その時期にまたしても待っていたのは、女性の出世と男性の仕事のスランプでした。次第に家ではゲームに没頭し、女性とのコミュニケーションが減ったため、そのことに不満を漏らすと、「自分の出世が遅れたのは育児を手伝わされたせいだ」と言い放ったそう。
みるみるモラ〇ラ夫へと変わっていった男性はついに・・・
「離婚したいと言われました。心療内科へ行ってきた、と言うんです。そこで、不調の原因は結婚生活にあるから別れたほうがいいと言われた、と。結局自分の頭ではもう何も考えることができなくなってしまったんだな、と悲しくなりましたね。だからと言って、簡単に承諾する気にはなれませんでしたが」
その後話し合いを重ね、解決してはまたトラブルを繰り返した後、ついに女性は子供と共に家を出てマンションを購入。結局その後も、紆余曲折を繰り替えし、ついには戻ることは難しいと諦め、離婚を決意。離婚にあたっては、公正証書を作成することになったそう。夫は無気力だったため、すべての項目は恵子さんが1人で決めたそう。そんな大変な労力を払った離婚後にも周りからは多くの苦言を呈されたそうです。
”夫婦2人じゃないと子供は幸せになれない”、そんなことがまだまだ言われる日本ですが、その答えを決めるのはその家族ひとつひとつ。他人の言葉は無責任なものですから。
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