80年代後半を中心に一大ブームを巻き起こした人気グループ「光GENJI」のリーダーを努めていた大沢樹生。アイドル・俳優としての活躍を経て、現在は自身の所属事務所である株式会社ミキオオフィスの代表取締役社長を努めています。
ジャニーズ事務所のアイドルとして光GENJIで大ブレイク
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1982年、小学6年生だった大沢樹生は、ジャニーズ事務所のオーディションに合格しました。翌年にはイーグルスのメンバーとしてレコードデビューをしましたが、グループは自然消滅。
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しかし、デビューから3年後の1987年、光GENJIのメンバーとして再びレコードデビューを果たします。
デビュー曲「STAR LIGHT」は48万枚以上の売上を誇り、その後2年間に発売されたシングルが次々と大ヒットしました。3枚目のシングル「パラダイス銀河」は最大のヒット曲となり年間のオリコン1位、さらに日本レコード大賞受賞曲でもあります。また、光GENJIとして「あぶない少年」などのドラマでも活躍が光りました。point 279 | 1
自分の方向性を貫き決断した光GENJI脱退
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ジャニーズ事務所のアイドルとして活動する中、アーティストとしてのあり方に疑問を持ち始めていた大沢樹生。しかし、光GENJIの成功するに連れ、このままでは自分が目指している方向性のものはできないかもしれないと思うとようになっていきます。自分の活動に対する些細な希望も事務所に押さえつけられ行動を制限されていたことなどに将来の危機感を持った上で、1994年に光GENJIを脱退し、事務所も退社しました。
翌年、個人事務所とファンクラブを立ち上げ、本格的に俳優業を行い、またソロ歌手としても活動していきます。point 349 | 1
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脱退後のソロとしての芸能活動と二度の結婚
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光GENJIを脱退して2年後、アイドルとして人気絶頂の頃にドラマで共演した喜多嶋舞と結婚。一人息子に恵まれましたが、2005年に離婚。2007年から6年間親権を持っていましたが、その後は喜多嶋舞の実母に親権が渡りました。2008年には一般女性と再婚をして現在に至っています。
芸能活動は、脱退後も自叙伝を出版したり、テレビドラマ「水戸黄門」のレギュラー出演など数多くの番組に出演しています。2011年に「東京ジョー」というアーティスト名で、約10年ぶりにシングル曲も発売しました。
2014年には、夫人との間に女児が誕生したことを自身の公式ブログで明らかにし、今は幸せな結婚生活を送っていることでしょう。point 300 | 1
まとめ
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元ジャニーズ事務所のアイドルとして人気グループ光GENJIで輝きをみせた大沢樹生。その後も、ソロとして歌手に俳優にと活動を続けてきました。ファンの心には、いつまでも「光GENJIの大沢くん」として生き続けていくスターです。