3日、「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」などの大ヒットで知られる歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ、本名林美千代=はやし・みちよ)さんが 去る1月29日に亡くなっていたことが 分かりました。76歳。福岡県出身。
自宅を訪れたマネジャーが 倒れているのを発見
1月29日にマネジャーが「QVCジャパン」の通販番組の打ち合わせのために自宅を訪れたところ、倒れているのを発見したという。梓さんは71年に俳優の和田浩治さんと結婚したが、72年に離婚しています。梓さんは都内のマンションで 一人暮らしをしていました。遺族の意志に基づき、すでに 2日に葬儀が執り行われたという。マネジャーが 年末に会った時には元気だったということでした。
以下は 事務所からのコメントです。
弊社所属、梓みちよが永眠いたしました。享年76歳でした。
出演予定の番組があり、打ち合わせのため 1月29日 午後マネージャーが訪ねたところ、都内の自宅で亡くなっているのが見つかりました。
ご遺族の意志に基づきまして近親者のみにて2月2日に葬儀が執り行われました。
ここに生前のご厚誼に御礼申し上げますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
歌謡曲からポップスまで幅広いレパートリー
「ボサノバ娘」のキャッチフレーズで1962年、シングル「ボッサ・ノバでキッス」でデビューしました。翌63年、NHK「夢であいましょう」の今月の歌コーナーで発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞永六輔、作曲中村八大)がミリオンセールスを記録し、同年の日本レコード大賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場し、69年まで 7年連続で出場しました。
64年には 学習院初等科の同窓会に招待され、昭和天皇の前で 「こんにちは赤ちゃん」を御前歌唱し、初の天覧歌謡曲となりました。梓さんの代表曲となった一方で、清純派のイメージが 固定化され、脱却できないもどかしさから猛反発して歌わない時期もあったそうです。
74年には、あぐらを組んで歌う「二人でお酒を」がヒットし、大人の歌手へとイメージを一転させました。同年の紅白に 5年ぶりに返り咲き、76年に「メランコリー」、79年には「よろしかったら」がヒット。レパートリーは 歌謡曲からポップスまで幅広く、60~70年代を代表する歌手となりました。
永さんが亡くなった時には 追悼コメントも
92年には 16年ぶりに紅白に出場し、中村さんの死去を悼んで「こんにちは…」を歌いました。16年に永さんが亡くなった時には 追悼コメントを発表し、同曲を歌うにあたって 「いいかい、女性はみんな母性本能があるんだ。胸に玉のようなかわいい赤ちゃんを抱いていると思って歌えばいいんだよ」と、永さんからアドバイスを受けたことを明かしていました。
86年放送の フジテレビ系「さんまのまんま」では、明石家さんま(64)さんに シャンパンをかけ、お茶の間を凍り付かせたことも。その後、梓さんが さんまさんに謝罪し、番組の名場面集でも取り上げられる名シーンとなりました。
年末には お元気だったということで 突然の 訃報に 心よりお悔やみ申し上げます。