モデルの平子理沙さんの母、平子禧代子さんは日本にネイルアートを広めた人物で、ご自身でネイルアート会社の経営も行っていました。
ネイルアートの世界ではかなり成功された人物で、現在はロサンゼルスで立派な豪邸に住んでいます。
現在も高齢にも関わらず、髪は金色に染めブランド服で身を包み、ファッショナブルな装いをしていますので、実年齢よりもかなり若く見られることでしょう。
そこで平子理沙さんの母、平子禧代子さんとはどんな人物なのかについてご紹介いたします。
ネイルアーティストの平子禧代子さんの夫もファッション関係者
写真:まるニュース
平子禧代子さんはネイルアートを日本に広めた第一人者として知られています。
当時、ネイルアートはまだ日本ではあまり馴染みがなかったので、爪の先に様々なデザインを施したネイルアートに日本人は驚かされたのではないでしょうか。
今はネイルアートはお洒落として誰もが気軽に行っていますが、その当時は日本では誰も行ってはいませんでした。
当時の爪のお洒落と言えば、単色のマニキュアを塗る程度でしたが、爪に自由に絵や柄を入れるのは、今から30年前の日本にとってはとても珍しいことです。
写真:ザ・ビューレック
ちなみに初代ネイルクイーンは娘の平子理沙さんでしたので、母娘ともに誇らしかったことでしょう。
平子禧代子さんは、娘の平子理沙さんが15歳の時に家族で渡米していますので、渡米先でネイルアートの技術を学び、学んだネイルアートの技術を日本で広めました。
さらに女性の身でありながらネイルアートの会社を自分で作ってしまうのは、かなり行動的で実業家としての才能にも恵まれていたのに違いがありません。
ちなみに渡米先では、娘の平子理沙さんはアメリカの地元の高校に通っており、同級生には現在ハリウッドスターとして活躍中の女優もいたそうです。
高校では平子理沙さんはベストドレッサー賞に毎年選ばれていたほどですので、かなりお洒落な女子高校生だったのでしょう。
モデルの平子理沙さんのママも娘に負けずかなりのお洒落好き
写真:hachi8 – Hachibachi
アパレル会社の重役でもある夫と、ファッションモデルの娘を持つ平子禧代子さんは、自身もかなりのお洒落好きです。
ファッションセンスもかなりよく、年齢からいえばおばあちゃん世代にも関わらず、とてもファッショナブルであることでも有名です。
現在、平子禧代子さんはアメリカのロサンゼルスに住んでおり、第二の人生を楽しく謳歌しています。日本国内には、平子禧代子さんのお弟子さんがたくさんおり、ネイルアート専門学校の講師の中には、平子禧代子さんに実際に教えてもらった生徒さんも沢山いらっしゃるそうです。
平子禧代子さんは夫も仕事をしており、かなり裕福な生活を送っていたようですが、渡米したのには、夫の会社がうまくいかずに経営が困難になってしまったという背景もあります。
写真:MONKEY[モンキー]
日本での事業をすべて終えるために計画的に倒産をし、資産を売却後にアメリカでやり直すためだったというのが本当の渡米の目的だったのかもしれません。
平子禧代子さんがネイルアートを日本に広めて、会社まで作ったのはまた一から立て直すためという目的もあったのではないでしょうか。
いずれにせよ、女性が自分の力で自分の好きなことを職業にし、それを成功させたのは並大抵のことではありませんので、平子禧代子さんはかなりの努力家だったのかもしれません。
成功の秘訣は、まだ日本では誰も行っていないネイルアートだったからこそ、成功出来たのでしょう。
まとめ
写真:Colorful Instagram
平子禧代子さんは日本で初めてネイルアートを広めた人物です。また娘はモデルの平子理沙、娘の夫は吉田栄作です。娘の平子理沙さんが15歳の時に渡米した際に、ネイルアートの技術を学び、それを日本に伝えました。当時の日本ではネイルアートはまだ珍しく、誰も行ってはいなかったからこそ、成功することが出来たのでしょう。実際に現在ネイルアート講師として活躍されている方の中には、平子禧代子さんの教え子もいらっしゃいますので、平子禧代子さんはネイルアートの世界にかなり貢献された人物でもあります。