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阪神タイガースで活躍した久保田智之投手は、現役生活を引退し打撃投手を経て、現在は関東地区のスカウトとして、阪神タイガースの裏方のお仕事をされています。現役時代は、JFKとの呼称で鉄壁の救援人の一郭を担い2005年のセントラルリーグ優勝に大きく貢献しました。また、野球の世界選手権として人気のあるWBCの初代日本代表選手として選出され、世界一となった日本チームの一員でもありました。久保田智之投手の現役時代の活躍を振り返りつつ、現役引退後の状況について以下で述べていきます。point 305 | 1
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◼︎久保田智之投手の現役時代の活躍について
久保田智之投手は、2002年のドラフト5巡目で阪神タイガースから指名を受け、入団しました。1年目の2003年から26試合に登板、そのうち10試合に先発し、5勝5敗、防御率3.point 176 |
12と活躍しました。またこの年はチームもセントラルリーグで優勝しました。2004年より抑え投手としての役割を担うようになり、2005年から本格的にリリーフエースとして最終回を担う役割をとなり、同年は5勝4敗27セーブ、防御率2.point 114 |
12の成績を残し、自身2度目となるセントラルリーグ優勝の原動力として大きく貢献しました。この年は、6回までチームがリードをしている展開になると、勝利の方程式として、7回藤川、8回ジェフ・ウィリアムス、9回久保田が登板するパターンが確立しました。3人の頭文字をとり、JFKとの呼称で鉄壁の救援陣として称賛されました。翌年2006年には、故障などの影響により、成績を落とし、戦線離脱をしている間に、藤川球児投手がリリーフエースとなったため、以降は中継ぎ投手として活躍しました。その中でも、2007年はフル回転し、現在でも日本記録なっているシーズン90試合登板を達成しました。この年は、9勝3敗46ホールド、防御率1.point 306 |
75と活躍し、初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手のタイトルも手にしました。また、翌年の2008年にも31ホールドをあげ、2年連続でタイトルを獲得しました。以降は、肩の故障などで精彩を欠き2014年シーズンで現役を引退しました。point 113 | 1
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◼︎現役引退後の打撃投手、スカウトとしての役割
現役引退後の2015年から阪神タイガースの裏方の立場で活躍をしています。2015年から2016年の2年間は、二軍の打撃投手としてチームを支えました。特に、2016年は、一軍監督も金本監督に代わり、二軍で鍛えられていた若手野手が一軍に抜擢されるケースが目立ちました。2016年シーズンに一軍にて初本塁打を放った野手は多数おり、原口文仁捕手、坂本誠志郎捕手、陽川尚将内野手、北條史也内野手、中谷将大外野手などです。これまでの阪神タイガースは、二軍から一軍に若手野手を昇格させても、活躍できる機会が少なく目立った活躍をしないまま、二軍に降格させられるケースが大半でした。point 374 | 1
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若手の台頭がないため、FA制度や外国人の補強により、チーム力を維持してきましたが、現在は若手がチームの中心となりつつあります。もちろん、一軍の金本監督の采配がチーム内の活性化に繋がっていますが、二軍の打撃投手の力も大きく、久保田打撃投手の貢献あっての初本塁打量産に結びつきました。現役時代同様に、阪神タイガースを支える存在として欠かせない存在となっていました。その後、2017年より、関東地区担当のスカウトとして活躍しています。久保田投手は、埼玉県の出身であり、地元の関東地区で、アマチュアの有力な選手をみつけ、ドラフトでの指名を行うための材料集めの仕事を行い阪神タイガースを支えています。point 358 | 1
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◼︎まとめ
このように、阪神タイガースで活躍した久保田智之投手は現在は裏方としてチームを支えています。華々しく活躍し、2003年、2005年のセントラルリーグ優勝に貢献し、2007年、2008年にはタイトルも獲得した逸材です。現在は、自らが支援をして選手が活躍するための下地作りをする大変地味なお仕事をされています。ただ、地道な活動が実を結び、現役時代に久保田智之投手が活躍したのと同様に下地を作った選手が優勝に貢献したりタイトルを獲得できるように支えていただきたいと願うところです。これからも裏方として活躍されることに期待したいです。point 335 | 1