今となってはテレビドラマ等でのおっとりとした良妻賢母のイメージが強い八千草薫さん。そんな外見からは分からない、波乱万丈な過去が実はあるそうです。そんな彼女の過去や、芸能界の来歴、性格等を一緒に見ていきましょう。
八千草薫【プロフィール】
本名: 谷口 瞳(たにぐち ひとみ) 旧姓・松田(まつだ)
生年月日: 1931年1月6日
出身地: 大阪府天王寺市
血液型: O型
身長 154cm
所属事務所 柊企画
八千草薫の【来歴】デビューのきっかけ・現在の活動
プール女学院在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団入団をしました。宝塚入団時の成績は、50人中19位と優秀だったそうです。入団当初は、『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としましたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を得ました。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、同年から劇団内に新設された映画専科に所属をしました。宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時のお嫁さんにしたい有名人の統計で、たびたび首位に輝いていました。1957年5月31日に歌劇団を退団した後は、舞台・映画・テレビなどでのおっとりとした良妻賢母役が好評で、多くの作品に出演し活躍しています。point 431 | 1
八千草薫の【性格・エピソード】
幼少時に父を亡くし、母一人・子一人で育ちました。思春期がちょうど戦時中で、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた背景があります。1977年には、ヤマハ・パッソルのCMに起用されました。その前年、ホンダが商品化した原動機付自転車ロード・パルは、ソフィア・ローレンを起用して爆発的ヒットをしました。競争相手であったヤマハ発動機は、あえて日本人女優である八千草薫さんに白羽の矢を立てたそうです。当時、八千草薫さんは免許を所有していなかったため、ヤマハの免許センターで取得をしたのだとか。「やさしいから好きです。」というキャッチフレーズは、ヤマハとホンダの販売競争を激化させるきっかけにもなったそうです。point 407 | 1
【噂話その1】八千草薫がいつまでも美しいワケとは!?
八千草薫さんの趣味は、山登りや山歩きやウォーキングだそうです。お美しく、いつまでも若々しい外見は、趣味でも体を動かしているのが若さを保つ秘訣の一つなのでしょう。噂によると、宝塚歌劇団に入団した戦後間もない頃、東京公演で銀座を訪れた際、『お寿司が食べたいわぁ〜』といった何気ない発言が、食料事情の逼迫していた当時、周囲から顰蹙を買ったことがあったそうです。捉え方によっては悪気がなく言ってしまった一言で、本人の天然な性格?とも思われます。しかし、八千草薫さんには略奪愛?性格が実は悪い?という厳しい噂も飛んでいます。次の噂話ではその略奪愛についてお話していきます。point 380 | 1
【噂話その2】八千草薫、旦那様との出会いと夫婦仲は?実は略奪愛だった?!
1957年(昭和32年)八千草薫さんが26歳の時に、19歳年上の映画監督・谷口千吉さんと結婚しています。1956年映画「乱菊物語」で一緒に仕事をしたのが出会いのきっかけだったそうです。親子ほどの年の差の二人の結婚報道に、世間は大変驚いたそうです。実は、谷口千吉さんは八千草薫さんとの結婚が3度目でした。そして、八千草薫さんは不倫略奪婚だったそうです。しかも、元奥さん(女優の若山セツ子)に、毎晩、電話攻撃をし、その元奥さんを精神的に追い詰めたのだとか…。その後、元奥さんは自殺したのだとか…という噂があります。そして、元奥さんの若山セツ子さんが亡くなった際に、「身から出た錆ね。」という言葉を放ったのだとか。ちなみに「身から出た錆」の意味は、「自分の犯した悪行のために、自分自身が苦しむこと。」です。亡くなった方にこんなに酷い言葉を放ったという話が、八千草薫さんの性格が悪いと噂されている一つのようです。point 407 | 1
そんな八千草薫さんですが、2019年2月9日、ガンで闘病中であることを明かされました。現在は自宅療養中とのことです。
まとめ
テレビドラマや舞台では、おっとりとした役柄と印象の強い八千草薫さん。そんな彼女の背景には、見た目とは裏腹な過去と性格の噂がありました。19歳離れていた旦那さんは、実は略奪愛だったというエピソードは、特に彼女の印象からはかけ離れたエピソードのように聞こえますね。90歳近い高齢にもかかわらず活動を続けてきて、現在は療養中とのことで、ゆっくりおからだを大事にしてほしいと思います。