ヒグマ襲撃事件
近年、ヒグマに遭遇する事件が相次いでいます。
山に食べる物がなくなったヒグマが山を下ってきているともいわれています。
軽傷で済む人もいますがヒグマは非常に危険なのです。
今回、昭和に起きた衝撃的なヒグマ襲撃事件についてご紹介しましょう。
事件があったのは1970年7月でした。
北海道の山中で大学生がヒグマに襲われ、3名が死亡しました。
この時、死亡した1名は死ぬ直前までクマに襲われた緊迫した状況をメモに残していました。
生々しい体験の一部始終とともに事件の内容を紹介しましょう。
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件
1970年7月14日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人は北海道の日高山脈を訪れていました。
ワンダーフォーゲルとはドイツ発祥の自然の中で楽しむ野外活動のことです。
昭和40年代に日本の大学生の間でもブームとなり、全国で同好会が発足したといわれています。
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のメンバーである、
リーダー竹末さん(当時20歳)、サブリーダーのAさん(当時22歳)、興梠さん(当時19歳)、Bさん(当時18歳)、河原さん(当時18歳)は20日間にも及ぶ長期登山合宿を行う予定でした。
入山して12日目の7月25日、初めてヒグマに遭遇します。
彼らのテントに近づいてきたヒグマとの距離は約7mほどだったといいます。
彼らは初めて見るヒグマに恐れることなく、ヒグマの様子を観察していたといいます。
ヒグマは北海道にのみ生息しており、九州出身の彼らにとってはあまり危機感がなかったのです。
ヒグマがさらに近づきリュックなどをあさり始めたため、彼らはラジオのボリュームを上げたり、火をおこすなどして威嚇し、ヒグマを追い払いました。
しかし、悲劇の始まりはここからだったのです。
ヒグマは日本国内最大の哺乳類といわれ、体長は2m以上、体重300kgを超え、走るスピードは50km以上、嗅覚は犬の5倍ともいわれています。
そんなヒグマは臭いを嗅ぎ分け3日間にかけて、彼らを襲い続けたのでした。
25日の夜にヒグマは再び現れます。
この時は何もせず帰っていきましたが、26日の早朝に再び出現。
テントを引っ張るなどしたため、5人は逃げ出しました。
再びテントに戻るとヒグマの姿はなく、彼らはあさられた荷物を持って下山を決断します。
ヒグマにあらされた荷物を持っていたことが、この後、悲劇を呼ぶことも知らずに…。
5人は頂上を目指すことを諦め、下山することにしましたが、この日は夜が迫っていたため安全な場所を見つけテントを張りました。
しかしここにもヒグマが現れたのです。
ヒグマはリュックについていた自分の臭いを嗅ぎ分けて再び現れたのでした。
寝る準備をしているところにヒグマは現れました。
5人は真っ暗な山中を必死で走って逃げたといいます。
そしてここで5人はバラバラにはぐれてしまったのでした。
7月27日午後6時、5人のうちAさんとBさんは無事に保護されました。
行方不明の3人は捜索後、山中で死亡した状態で発見されました。
遺体の損傷が激しく麓に下ろすことができず、その場で火葬されたといいます。
生々しい体験談
死亡した3人のうち、興梠さんは1人クマに襲われた状況をメモに書き留めていました。
死ぬ直前まで興梠さんの状況や感情が生々しく書かれており、非常にショッキングな内容となっています。
興梠さんのメモによると1人はぐれた後、他の大学のテントを見つけ助けを求めにいきました。
実際のメモの内容がこちらです。
河原がやられたようである。
俺もやられると思ってハイ松を横にまく
俺の位置からは下の様子は全然わからなかった
クマの音が聞こえただけである
それから俺は鳥取大学のテントをのぞいてみると崖の方へ二、三ヵ所たき火をしていたので
下のテントにかくまってもらおうと崖を下る
5分くらい下って下を見ると
20m先にクマがいた
俺を見つけると駆け上がってきたので
一目散に逃げ少し崖の上に登る
まだ追っかけてくるので
30cmくらいの石を投げる
失敗である
ますます這い上がってくるので
15cmくらいの石を鼻をめがけて投げる
当たった
それからクマは10㎝ほど後さがりする
腰を下ろして俺をにらんでいた
この後、他の大学のテントまでたどり着きますが、誰もいなかったといいます。
すでにヒグマの危険を察知し、下山した後だったのです。
そのテントに残されていた食料などで一夜を過ごします。
翌朝、テントの外にヒグマがいることを発見。
逃げることができずテントの中で助けが来るのを待つ興梠さんの心境がつづられていました。
実際のメモの内容がこちらです。
テントを出てみると
5m上にやはりクマがいた。
とても出られないので
このままテントの中にいる
他のメンバーはもう下山したのか、
鳥取大ワンダーフォーゲルは
連絡してくれたのか
いつ助けにくるのか、
全て不安で恐ろしい。
またガス(霧)が濃くなって
不気味である
そしてメモはそこで終わっていました。
テントで助けを待っている間にヒグマに襲われたと思われます。
まとめ
実際の体験談が生々しく書かれたメモが発見されたことは、当時も今でも衝撃的な内容でしょう。
北海道の日高山脈には亡くなった3人を供養する石碑が建っています。
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