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映画監督・崔洋一、がんのため死去。親交のあった松田優作と同じ病気で…「月はどっちに出ているは面白かった」「お疲れ様でした」


今年6月まで日本映画監督協会の理事長を務めた崔洋一(さい・よういち)監督が11月27日午前1時、ぼうこうがんのため東京都内の自宅で亡くなりました。73歳の生涯でした。

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硬軟問わず、パンチの効いた作品で映画界に風を起こし続けた崔監督が静かにその生涯を閉じました。2019年にぼうこうがんが見つかり、2020年4月に16時間に及ぶ手術で摘出。その後、小康状態を保っていましたが、術後1年の検査で右腎、リンパ、肺に転移していることが判明していました。まずは大元のぼうこうがんを撃退するため22年2月4日から「パドセブ」という新療法を取り入れて、月に3回の投与を続けていたようです。point 321 | 1

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今年4月には「ラスト・ショー」と題した7日間に及ぶトークライブをテアトル新宿で開催。助監督時代に「最も危険な遊戯」(1978年)の現場で出会って親交が始まった松田優作の没後30年を記念して製作した「松田優作・メモリアル・ライブ」「優作について私が知っている二、三の事柄」の上映と連動させたイベントでした。 「優作とまさか同じ病気になるとは…」と因縁めいたものを感じていた崔監督だが、連日の大入りで無事に完走できたことに「企画立ち上げから準備、そして本番と、ショービジネスの世界で生きてきた自分にとっては面白いセブンデイズだった」とステージで感涙。大入りのファンから大きな拍手を送られていました。しかしその後、再び抗がん剤治療を受けていましたが、ついに帰らぬ人となりました。point 453 | 1

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この訃報のお知らせにネット上では、追悼の声が寄せられる中、崔監督の主張の強い作品を好きになれなかった人々も多くいるようでした。1993年「月はどっちに出ている」で注目を集め、2004年に公開された映画「血と骨」ではビートたけしさんが主演を務め、日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞しました。point 262 | 1

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