本当に怖い病気・・『乳癌』
乳がんの多くは乳管から発生し、「乳管がん」と呼ばれます。小葉から発生する乳がんは、「小葉がん」と呼ばれます。乳管がん、小葉がんは、乳がん組織を顕微鏡で検査(病理検査)すると区別できます。この他に特殊な型の乳がんがありますが、あまり多くはありません。乳がんは、しこりとして見つかる前に、乳房の周りのリンパ節や、遠くの臓器(骨、肺、胸膜、肝臓、脳など)に転移して見つかることがあります。乳がんの種類や性質によって、広がりやすさ、転移しやすさは、大きく異なります。
乳がんが見つかるきっかけとしては、マンモグラフィなどによる乳がん検診を受けて疑いを指摘される場合や、あるいは自分で症状に気付く場合などが多いようです。自分で気付く症状としては、以下のようなものがあります。
1)乳房のしこり
乳がんが進行すると腫瘍が大きくなり、注意深く触るとしこりがわかるようになります。ただし、しこりがあるからといって、すべてが乳がんというわけではありません。例えば、乳腺症、線維腺腫、葉状腫瘍などでもしこりの症状があらわれます。葉状腫瘍はまれな腫瘍ですが、線維腺腫に似た良性のものから、再発や転移を起こしやすい悪性のものまでさまざまです。これらは乳がんとは異なりますが、しこりが気になる場合は専門医に診てもらいましょう。
2)乳房のエクボなど皮膚の変化point 285 | 1
乳がんが乳房の皮膚の近くに達すると、エクボのようなひきつれができたり、乳頭や乳輪部分に湿疹(しっしん)やただれができたり、時にはオレンジの皮のように皮膚がむくんだように赤くなったりします。乳頭の先から血の混じった分泌液が出ることもあります。乳房のしこりがはっきりせず、乳房の皮膚が赤く、痛みや熱をもつ乳がんを「炎症性乳がん」と呼びます。炎症性乳がんのこのような特徴は、がん細胞が皮膚に近いリンパ管の中で増殖してリンパ管に炎症を引き起こしているためです。痛み、むくみや腫れといった症状は乳がん以外の病気、例えば良性腫瘍の1つである線維腺腫(せんいせんしゅ)、乳腺症、細菌感染が原因の乳腺炎や蜂窩織炎(ほうかしきえん)などでも起こることがあるので、詳しい検査をして乳がんであるかどうか調べる必要があります。
3)乳房周辺のリンパ節の腫れpoint 429 | 1
乳がんは乳房の近くにあるリンパ節である、わきの下のリンパ節(腋窩[えきか]リンパ節)や胸の前方中央を縦に構成する胸骨のそばのリンパ節(内胸リンパ節)や鎖骨上のリンパ節に転移しやすく、これらのリンパ節を乳がんの「領域リンパ節」と呼びます。腋窩リンパ節が大きくなると、わきの下などにしこりができたり、リンパ液の流れがせき止められてしまうため、腕がむくんできたり、腕に向かう神経を圧迫して腕がしびれたりすることがあります。point 266 | 1
小林麻央
生年月日: 1982年7月21日
生まれ: 日本 新潟県 小千谷市
死亡: 2017年6月22日, 日本 東京都
フリーアナウンサーとして活躍していた、小林麻央さん。2016年6月にがんで闘病中であることが報じられ、2017年6月22日にこの世を去りました。夫である歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは翌日のブログで「人生で一番泣いた日です」と語り、麻央さんが亡くなったことを知った多くの人が、その死をいたみました。
2016年6月9日に、麻央さんが進行性の乳がんで入院していることが報じられ、闘病生活を送っていることが世間に広く知られました。以前は歌舞伎俳優の妻として、海老蔵さんが出演する歌舞伎座などにも顔を出していた麻央さん。しかし、この時には、公の場に姿を見せることはほとんどなくなっていたといいます。麻央さんの病気が報じられる前の、5月2日の海老蔵さんのブログでは、麻央さんが体調を崩していることを匂わせる言葉がつづられていました。point 290 | 1
不意に麻央さんの病状が広まってしまったことを受けて、同日に会見を開いた海老蔵さんは、麻央さんが乳がんであることを公表。この時、「1年8か月も闘病している。詳しい容態はいえないが、『大変なものではないか』と医師にいわれた」と語り、麻央さんの容態が思わしくないことをにじませました。病気が発覚してから公の場に出ることが少なくなった麻央さんでしたが、ファンや友人知人を心配させたくないと思ったのでしょうか。2010年までサブキャスターを務めた報道番組『NEWS ZERO』(日本テレビ系)宛に、メッセージを寄せました。そのメッセージでは、長い闘病生活での苦労や、家族と一緒に「生きよう」と前向きに思っていることを明かしています。point 364 | 1
一方で、病気が公表されたことに対して麻央さんは複雑な感情を持っていたようです。世間からの好奇の目を恐れたのか、麻央さんはそれまで以上に自分の殻に閉じこもり、世間の目から触れないようにしていたといいます。しかし、医師からいわれた「がんの陰に隠れないで」という言葉に心を動かされ、闘病生活を赤裸々につづるブログをスタートしたのです。海老蔵さんは麻央さんを気遣って「無理しなくていい」と伝えたそうですが、麻央さんの決意は、驚くほど堅かったといいます。こちらは、麻央さんが初めて書いたブログの一文。世間の目から隠れていた自分と決別する、強い意思がうかがえます。point 332 | 1
私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。
こんな自分勝手な情けない理由で
ごめんなさい。
でも、一度きりの人生なので、
ADVERTISEMENT なりたい自分になろうと
決意できたことは
うれしいです。
2017年6月23日、海老蔵さんのブログで、麻央さんが亡くなったことがそれとなく伝えられ、その後、各メディアが一斉に麻央さんの死を報道しました。海老蔵さんはその日に会見を開き、麻央さんの最期をこのように語っています。
「愛してる」と(麻央さんが)いって、そのまま旅立ちました。
何というのでしょうか。こんなに、愛されていたのはよく分かっていたんですけど…。
ADVERTISEMENT 最後の最後まで、愛してくれていたことに…何ともいえませんね。
涙に詰まり、言葉が出ない海老蔵さん。その姿を見た多くの人が、麻央さんの死をいたんで涙しました。
元SKE48・矢方美紀
生年月日: 1992年6月29日 (年齢 26歳)
生まれ: 日本 大分県
総選挙で国民的アイドルらが年に一度の戦いを見せる中、乳がんと闘う女性がいます。SKE48でチームSのリーダーを務めた矢方美紀さん。在籍時は選抜総選挙でも2度ランクインを果たすなど、グループをけん引してきました。矢方さんに異変が起きたのは昨年末のこと。SKE48を卒業し、夢である声優に向かって歩き始めた矢先だったのです。
4月にステージ2bの乳がんを明かし、左乳房全摘出とリンパ節切除を公表。今は抗がん剤治療が始まり、一年後には左胸の再建手術も予定しているようです。最近では松井珠理奈が矢方さんと食事に行ったことを明かし、「昔と変わらない明るくて笑顔のみきてぃに、私のほうがパワーをもらいました」とコメントするなどSKE48時代の仲間との交流も続いているようです。矢方さんが初めて乳がんを意識したのは小林麻央さんがきっかけだったといいます。向きに乳がんと向き合う姿を見せる一方で、当初2bと言われていた乳がんのステージが病理検査の結果、3aに進行していたことを明かしました。point 333 | 1
さくらももこ
生年月日: 1965年5月8日
生まれ: 日本 静岡県 静岡市 清水区
死亡: 2018年8月15日, 日本
漫画『ちびまる子ちゃん』(集英社)や『コジコジ』(同)、ベストセラーになったエッセイ『もものかんづめ』(同)などで有名なさくらももこさんが、8月15日、乳がんのため亡くなられました。享年53歳でした。
昭和40(1965)年生まれの弱冠19歳で漫画家デビュー、昭和61(1986)年から少女漫画誌「りぼん」(同)で『ちびまる子ちゃん』の連載をスタートすると大ヒット。単行本などの累計発行部数が3200万部に達するなど、一種の社会現象を巻き起こしました。平成2(1990)年からはフジテレビ系でアニメ『ちびまる子ちゃん』が放送され、当年の10月28日の平均視聴率は驚異の39.point 253 |
9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。アニメ版のテーマソング『おどるポンポコリン』(B.point 47 | B.point 49 | クィーンズ)の作詞もさくらももこさんで、CDは164万枚も売り上げました。point 86 | 1
『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃん役を担当していた声優の水谷優子さんも、一昨年(2016年)5月17日に49歳の若さで同じく乳がんで亡くなられています。
DOUBLE
生年月日: 1975年3月14日 (年齢 43歳)
生まれ: 日本 新潟県 新潟市
今年3月に乳がんを公表した歌手のDOUBLEさんが26日、ブログを更新。ステージ1で右胸の部分切除手術を受けたこと、リンパ節への転移はなかったことを報告しました。現在は放射線治療が終わり、今後はホルモン治療を受ける予定であることも伝えています。3月14日のブログで昨年末に乳がんが見つかったこと、近く手術を受けることを公表していました。
この日は初めて病理検査の結果を報告。「ステージ1 右胸部分切除 リンパ節転移無し」という結果に「今のところこれはとても良い結果だったのではないかと思っています」と前向きにとらえているようでした。抗がん剤治療は行わない予定といいます。
乳がんが見つかった最初の病院では「部分切除では形もいびつになるし、他の部分にもがん細胞があるかもしれない」として、右乳房全摘手術を勧められたことも告白。自身もその覚悟ができていたというが、別の病院で、医師が「部分切除でいける」と判断。「ただ胸を残すどころかとても綺麗な形で残してくださいました。」と明かしました。point 210 | 1
恩田千佐子
生年月日: 1967年9月4日 (年齢 51歳)
生まれ: 日本 東京都 小平市
2017年11月10日放送の【キャッチ】で乳がんの手術を受けるためしばらくお休みすることを公表した恩田千佐子アナ。2017年11月30日の放送から無事、元気になって戻ってきてくれました!
恩田アナが乳がんを告白したのは、2017年11月10日(金)放送の【キャッチ】でのことでした。
今日の「キャッチ!」で、ご報告しましたが、来週から2週間ちょっと番組をお休みさせていただきます。
理由は、乳がんの手術のため。右乳房全摘出と乳房再建の同時手術です。8月に「ちょっと変だな」と気づき乳腺外科に通い始めて、マンモグラフィー・エコー検査・細胞検査・MRI検査・組織検査・・・と検査を重ねていった結果、右乳房に悪性腫瘍があると判明しました。「早期発見の初期のがん」という診断でしたが、心配な部分が3ヶ所ほどあるので、右の乳房の組織はすべて取り除き、乳房のふくらみを保つため、人工のものを入れます。正直、不安もありますが今はできることを粛々と進めていくしかないので、一つでも心配要素を減らしていくことに、取り組んでいきます。point 314 | 1
ADVERTISEMENT
今年の8月から乳房の異変に気が付き、病院に通っていたことが明かされています。病院での精密検査の結果、初期の乳がんであることが判明しました。こちらのブログ記事によると
・ガン細胞が3箇所ある
・右の乳房は全摘出する
・手術時に乳房再建を行う
というようなことが分かりました。
乳がんが分かってからも何ごともなく元気にスタジオで原稿を読んでいた恩田千佐子アナ。実はきっと不安な気持ちだったのでしょうね。それを考えると胸が痛くなりました‥。療養を発表したあとからずっと気になっていましたが、恩田アナの乳がんの手術は無事に成功したことが報告されました!キャッチのツイートで発表されていたんですね。
だいたひかる
生年月日: 1975年5月25日 (年齢 43歳)
生まれ: 日本 埼玉県 東松山市
だいたさんは38歳のとき、アートディレクターとして活躍する小泉貴之さんと再婚されています。妊活を重視して仕事をセーブしていたため、最近ではテレビで見かける機会も少なくなっていました。そんな中、’16年の初めに乳がん検診で乳がんが発覚したのです。
「右胸にしこりがあるって言われて触ってみたら、ある。まったく気づかなかったことにビックリでした。その後のエコー検査でしこりが27ミリだって聞いて、でかくない?って思いました。組織検査に進むと言われて怖くなって……」夫の小泉さんは、だいたさんの不安を打ち消すように、差し押さえ並みに家中に「大丈夫」と書いた張り紙をしたといいます。それはどこまでも熱い性格の小泉さんからの、無限大の愛だったのです。しかし、検査の結果は……。「乳がんのステージIIA。リンパに転移しているかどうかは手術してみないとわからない。部分切除だと3分の1残せるけどリスクがどうのこうのって。ホルモン受容体陽性ってタイプだからホルモン療法が期待できるとか、お経みたいで……。よくわからないから、聞き方変なんですけど、『オススメはなんですか?』って聞いたんですよ。シェフのオススメは? みたいに(笑)。そしたら全摘って言われました。手術説明の後すぐにおっぱい再建の説明もされて、え? そんな同時に話す? って、またビックリでした。ドラマと違う!って(笑)」point 515 | 1
リスクは最小限にということで、右乳房を全摘出することに夫婦で決めたようです。入院前日、「最後のおっぱいを撮ろう」と夫婦で撮影会を行いました。撮っているうちに、なぜか小泉さんまで裸に……。だいたさんはその時のことをこう語っています。「日記には私、笑いすぎて顔面が肉球みたいだって書いてますね」乳がんの手術は切除範囲によっては日帰りもできるほどに技術が進んでいます。だいたさんの場合は2月25日の手術前日に入院し、経過しだいでは1週間程度で退院できるというものだったが、術後、リンパに転移していたことが判明しました。point 313 | 1
夫の小泉さんは、当時を「リンパに転移していてステージIIB。脇の下も切除し、腫瘍は周りの組織と一緒に45ミリの塊を取り出していて、大きな手術でした。すぐに抗がん剤やって、1週間後にはもう大丈夫だよってスピーディに解決してあげたい。でもそれは無理なことだし、明るい今日にする! しか頭になかったですね」と振り返っています。point 214 | 1
その後、3月3日に退院。4月11日から抗がん剤治療を開始し、10月に終了。現在はホルモン治療中で1日1錠、薬を飲んでいるといいます。「がんを経験したからには人に伝えたいことがあります。がんを怖がって過ごすより、なるべく病気を忘れて笑って過ごすということ。これに尽きます」と語るだいたさんだが、再発や転移の不安がよぎることもあるそうです。そんなとき、小泉さんは「虫歯のようなもの。できたら取ればいい、虫歯になったらどうしようって心配しても仕方ないよ。万が一、再発したとしても、悪いところを取って、いつものひかるちゃんになればいい」と話しているといいます。「再発・転移が心配なら検査するしかないですし。生き物は死亡率100%。余命200年なんて人、いませんからね。がんに振り回されていないで、乳がんあるあるネタを作ってみようかなと思うくらい(笑)」point 431 | 1
北斗晶
生年月日: 1967年7月13日 (年齢 51歳)
生まれ: 日本 埼玉県 吉川市
北斗晶さんからの「検診を受けて!」のメッセージを受け、乳がん検診を予約する人が増えているようです。一方で、「毎年乳がん検診を受けていても、こんなことが起こるの?」との不安の声も。今後私たちは、どのような乳がん検診を受ければ早期発見できるのでしょうか。
まず、北斗晶さんが毎年マンモグラフィー検診(以下、マンモ)と超音波検査を組み合わせて受けていたにもかかわらず、約2cmのリンパ節転移もある乳がんが発見された点について中村教授は、「実際、彼女の詳しいデータを見ているわけではないのであくまで推測だが…」と断ったうえで、「北斗さんのような乳頭直下に腫瘍がある場合は、検診で見つかりにくい場合がある。また、腫瘍が乳房の外側上部に広がっている場合は、わきの下のリンパ節に転移しやすいともいわれている」と話しています。point 304 | 1
さらに続けて「逆にいえば、北斗さんは毎年検診を受けており、自分の体に関心を持ち、乳房の様子をチェックしていたからこそ、約2cm段階の腫瘍で発見できたと考えることもできる。どんな検診にも限界があり、100%はない。その点、乳がんは自分で触って分かるがん。だからこそ、定期的に画像検診を受け、併せて普段から自分の体や乳房に関心を持って自己検診を行うことも大切。常に自分でチェックしていれば、小さな異変に早い段階で気がつくことができる」と強調しています。point 285 | 1
現在、日本の乳がん検診は、40歳以降2年に1回のマンモ+視触診が推奨されています。しかし、日本乳癌学会の2015年版の乳癌診療ガイドラインでは、50歳以上のマンモ検診の評価をAからB[注]に1ランク下げました。また今後、超音波検査を組み合わせるかどうかの有効性を検討中。というのも、マンモでは乳がんが見つかりにくい乳房が日本女性に多いことが分かってきたからです。point 240 | 1
マンモでがんが見つかりにくい乳房は、高濃度乳房(デンスブレスト)と呼ばれ、乳腺が密集しているためマンモで真っ白に写り、仮にしこりがあっても乳腺に隠れて見えない場合があるようです。特にアジア人に多く、日本女性の約70%はこれに当たるともいわれています。もっと乳癌を身近に考え、検査しなくてはならないですね。point 210 | 1