現在、バラエティ番組やドラマなどですでに30年以上に渡り活躍し続けている、勝俣州和さん。しかし、これまでの道のりは単純なものではなかったようで、時には芸能界のタブーを犯してしまい、とんでもない経験をしたこともあるとか。芸能界にはさまざまなタブーの噂がありますが、勝俣さんが犯してしまったタブーとは?
勝俣さんと言えば、あの和田アキ子さんの側近としても知られており、どんな大物タレントとも上手に絡むことができることから、バラエティ番組だけでなく、情報番組などでも広く重宝されています。そんな勝俣さんを最初に作り上げてくれたのは萩本欽一さんだそうで、「とにかく手を挙げろ。何も無くても手を挙げろ」と言われたとか。point 210 | 1
さらに自身が芸人として鍛えられたのは、とんねるずさんの影響が大きいとしながらも、しかし、この時代にはタブーも多くあったそうで、実際に何回も潰されかけたとか。ウンナンと仕事したらとんねるずとは仕事しちゃいけない、ダウンタウンとも仕事をしちゃいけないなどというルールが存在し、そのせいでつぶされかけたとか・・・point 212 | 1
しかし、実はこのタブーは本人たちがいいはじめたものではないそうで、当時のガッチガチだった番組スタッフの偉い人たちが考えていたことだったそうで、その人達からは「どっちを取るんだ。ハッキリしてくれ!」と何度も問いつめられたとか。今ではこのようなことはなくなったそうですが、当時はよくあったとか。それでもそんなタブーとされてきた人達と共演しつづけた勝俣さん、すごい!point 236 | 1
勝俣さんが、そんな激戦の時代を生き抜くことができた理由として、以下のように話しています。
「ウチのマネージャーとも話すんですけど、大きな事務所じゃなかったのが良かったねって(笑)。ウチは柳葉敏郎さんとか木村多江さんとか俳優さんが多くてバラエティって僕1人なんですよ。だからこそ、ある程度小回りが効いたとも言えます。もし大きな事務所さんだったら満遍なく共演するということは絶対に無理だったでしょうね。」
さらにこの30年以上を振り返って、「いや、本当にこの大海原をビート板とバタ足だけで生きてきましたからねぇ(しみじみ)。潰されかけはしたけど、一生懸命ちょっとずつでも前に進んでいれば、救ってくれる人や評価してくれる人も現れるんです。例えば、『笑っていいとも!』に出演が決まった際、ディレクターだった荒井(昭博)さんから「タモリさんと若手タレントの繋ぎをかっちゃんがやってくれ!」って任せてくれたんです。あれは嬉しかったですねぇ(しみじみ)。」と話しました。point 284 | 1
芸能界で生き抜くこととは本当にたいへんな事なのですね…