私たちが今便利に使っている科学技術は、先代の科学者たちの血のにじむような努力によって生み出されました。
「X-Ray」を開発するために、なんと8年もの間、放射線を浴びた科学者の手が公開され、科学者たちの苦労について改めて考えさせられるきっかけとなりました。
イギリスの「デイリーメール」は、世界的な科学者であるエジソンの助手だったクラレンス・ダリー(Clarence Dally)の手の写真を公開しました。
1895年、ドイツの科学者のヴュルツブルク大学のヴィルヘルム・レントゲン教授は、物体の表面を透過するX線を初めて発見しました。
続いて1896年、エジソンはヴィルヘルム・レントゲンが発見したX線を統合する装置を作るために努力しました。
この時、これを助けたのが助手のクラレンス・ダリーです。
クラレンス・ダリーは蛍光透視鏡を発明するために、X線撮影の実験を直接行いました。
指はもちろん、脳の写真まで、数百回にわたってX線を利用して撮影し、その結果、彼の体には、とてつもない変化が起こり始めました。
真っ先に脱毛し始めました。
髪の毛から抜け始め、顔全体が潰瘍で覆われ、左手は腐ったようにみっともない姿に変わってしまいました。
実際の写真を見ると、放射線被爆の大きな危険性が分かりました。
写真の中のクラレンス・ダリーの手の皮膚は火傷を負ったように変わり爪は剥がれ落ちていました。
手の形も骨が飛び出すなどの変化もありました。
結局、1902年にクラレンス・ダリーは左手を切断せざるを得ませんでした。
しかし、彼は左手の代わりに右手を使ってまでX線実験を辞めませんでした。
クラレンス・ダリーは放射線被爆による苦痛に耐えきれず最終的に39歳で死亡し、エジソンは1903年、X線研究から撤退しました。
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