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国民的俳優と言えば、高倉健さんを挙げる人も多いのではないでしょうか。不器用な日本男児として長年演劇界を支え続けてきた名優が亡くなってから、早くも数年が経ってしまいました。今回の記事では、高倉健さんの知られざる夫婦生活について紹介していきます。
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◼︎国民的俳優として半世紀以上活躍!
2014年に悪性リンパ腫のため、83歳でこの世を去ってしまった高倉健さん。名優の死には日本中のファンが悲しみに暮れました。高倉健さんは、50年以上日本の演劇界の第一線で活躍した国民的俳優です。
「ブラックレイン」や「幸福の黄色いハンカチ」、「鉄道員」など彼の代表作は挙げるときりがなくなってしまいます。また「不器用な男」の代名詞的存在でもあり、寡黙で穏やかな彼の性格はファンだけにとどまらず多くの俳優や映画監督にも愛され続けました。
高倉健さんと言えば、独身を貫き通しているといったイメージを強く持っている人が多いのではないでしょうか。しかし、彼は50年ほど前に一度結婚しています。そしてそのお相手とは、当時絶世の美女として歌手や女優としても活躍していた江利チエミさんです。
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◼︎2人の馴れ初めや仰天エピソード!
高倉健さんが、江利チエミさんと結婚したのは1959年。出会いは、1956年に放映された映画「恐怖の空中殺人」での共演でした。江利チエミさんは当時、美空ひばりさんや雪村いづみさんと共に「3人娘」と呼ばれていた大スターでもあります。そしてその頃の高倉健さんは俳優としてもまだまだ駆け出しの頃であったため、結婚当初は江利チエミさんの方が売れっ子だったようです。
そんな二人には、スターだからこその驚くべきエピソードがいくつもあります。特に有名なのは風邪を引いて入院したと嘘をつき、江利チエミさんが病院に駆けつけると「あなたに会うために仮病を使いました」と頭を下げたというエピソード。高倉健さんの不器用な性格がそのまま地で出ていて、なんだかほのぼのとしてしまいます。
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◼︎離婚の理由とは?
江利チエミ高倉健夫妻は、高倉健さんのロケ現場に江利チエミさんが差し入れを持ってくるなどとても仲の良いおしどり夫婦として知られていました。しかしそんな二人の仲を引き裂く悲しい出来事がいくつも起きてしまいます。
江利チエミさんは1962年に待ちに待った子宝を授かったものの、流産という悲しい結果になってしまいました。また1970年2人の住居が全焼してしまうという不運にも見舞われてしまいます。そして1971年にはとうとう離婚を発表しました。しかしこの離婚にはお互いを憎しみあうということは、一切なく江利チエミさんがスターへと成長していた高倉健さんのことを思い自ら身を引いたと言われています。
なお離婚の背景には、江利チエミさんの異父姉の影響もあったようです。異父姉は多額の借金を背負いこんでおり、虚言や横領などで度々マスコミを賑わしていました。そのためこれ以上迷惑をかけられないと思った江利チエミさんは、自ら離婚を申し出たようです。そして高倉健さんには、さらに辛い悲劇が襲います。離婚からおよそ10年後、江利チエミさんは脳出血により帰らぬ人となってしまったのです。
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◼︎まとめ
高倉健さんが江利チエミさんのお墓の近くに自宅を購入し、命日には人目を忍んで必ずお墓参りをしていたようです。まるで、ドラマのようなエピソードの数々。独身を貫き通したのも、きっと江利チエミさんへの思いがとても強かったからでしょう。