癌は現代人にとって身近なものであり、現在も癌と闘っている方も多くいます。
そんな中、最近は多くの芸能人・有名人が自らの癌を公表・告白しています。
同じように癌で苦しんでいる方々が、芸能人の公表によって大いに勇気づけられているパターンも少なくないようです。
今回は芸能人の方で癌と闘っている方、または癌によって命を落とした方を紹介したいと思います。
高橋メアリージュン、子宮頸がん罹患していた?
写真 moco-garden.com
女優で活動している高橋メアリージュンさん。著書『Difficult? Yes. Impossible? …NO. わたしの「不幸」がひとつ欠けたとして』で、29歳の時に子宮頸がんに罹患していたことを初告白しました。現在は克服しているが、自身の経験をきっかけに女性に子宮頸がん検診へ行ってほしいという思いで、包み隠さず本書を書き記した。
高橋さんは2016年秋、少しだけ体調に異変を感じ近所の婦人科へ診察に行きましたが、その際に「ひとつ安心の担保を手に入れよう」という気持ちで、子宮頸がん検査を受診。29歳の誕生日の11月8日に検査結果を聞きに行ったところ、医師から「検査の結果、がんが見つかりました」と告げられた時の率直な心境や病気に真正面から立ち向かう決意、克服後にも残る不安への向かい方、病気を公表することで周囲から気遣いさせてしまうことへの心配などを著書に載せたらしいです。
吉井怜
1982年3月18日生まれで、ホリエージェンシーに所属している日本の女優・タレントです。
吉井怜さんは2000年に急性骨髄性白血病を発症し、その病名は両親にだけ伝えられました。
そして、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられ、医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられたため、吉井怜さんは芸能生活がおしまいだと絶望感を味わいました。
急性骨髄性白血病の治療は、骨髄の中の白血球細胞が5パーセント以下になる「完全寛解」の状態にすることを目的に行われます。
しかし、1回の抗がん剤投与で5パーセント以下になっても、投与をやめてしまうとまたすぐに白血球細胞が増加するので、残存している白血病細胞を叩く目的の抗がん剤投与を行って再発を防ぐようになります。
そのため、吉井怜さんに対する抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月かかっってしまいました。
2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けましたが、その移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしているそうです。
吉田拓郎
1946年4月5日生まれで、フォーライフレコードの第2代社長であり、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサーを務めている吉田拓郎さん。
そんな吉田拓郎さんを2003年に襲ったのは肺がんでした。
吉田さんは同年4月に摘出手術を行い、約半年でライブに復帰されました。
復帰後は再発もなく、目安とされる5年間を経過されていますので完治されたようですね。
北斗晶
バラエティ番組でも大活躍されていた元・プロレスラーの北斗晶さん。
北斗さんが乳癌だと告白したことが、とても話題になりました。
北斗晶さんは癌細胞が発見され、検査をしたところ、医師からステージ2Bで5年間の生存率50%という厳しい余命宣告を受けたそうです。とても辛い宣告ですよね。
北斗晶さんは右乳房の全摘出手術を受けた後、現在も抗がん剤治療を続けているそうです。
つんく♂さん
シャ乱Qのボーカル、またプロデューサーとして大活躍していたつんくさん。
そんなつんくさんは、2014年3月に初期の喉頭がんであることを告白しました。
そして翌年の2015に、喉頭がんの治療のため、声帯摘出をされました。
つんくさんは歌手として声を失うことは人一倍恐ろしい事だったでしょう。
10万人に3人程度の発症率と極めて珍しい癌である喉頭癌。
通常は喫煙やアルコール摂取が多い方に発生するのですが、つんくさんの場合はやはり歌手として声を酷使していたのも大きな原因だったようです。
つんくさんは2013年10月頃から喉の調子が悪くなり、2014年2月に検査を受けたところ喉頭癌が発覚したようです。
小林麻央
2017年6月22日に34歳の若さで死去した、フリーアナウンサーの小林麻央さん。
乳がん闘病中であることが2016年6月にスポーツ紙に報じられ、夫の市川海老蔵さんが正式に公表した後に、自身のブログを開設していました。
2014年2月、海老蔵さんと共に人間ドックで健康診断を受けたようです。その時に超音波の検査で乳房に腫瘤が見つかり、医師に「五分五分で癌」と言われたといいます。
麻央さんは、人間ドッグでの腫瘤発見後、精密検査を受けていたようです。
そこでの超音波やマンモグラフィーによる精密検査では、触診でしこりが確認されたものの、当時授乳中だったために「心配いらないですよ」と言われます。この時、麻央さん側から生検について提案しましたが、不要と言われたことも明かしています。
精密検査を受けた病院からは「半年後の再検査」を提案されていたが検査に行くことができず、左の乳房にしこりがあることを、自分で確認したようで、その後、病院で脇にもしこりがあることがわかったといいます。
どうしても早期発見が重要なんですね。
桑田佳祐
サザンオールスターズ、またはソロ活動など活躍されている桑田佳祐さん。
桑田佳祐さんですが、なんと2010年7月、彼が54歳のときにステージ1の食道癌を発症しているのです。
食道と胃をつなげるという、6時間にも及ぶ手術とICU(集中治療室)での入院生活を送り、いまなお経過観察中です。
桑田さんはパーソナリティーを務めるラジオ番組で、不安を下記の様に漏らしているようです。
「まだ完治じゃないんだよ。再発する可能性もあるからまだ気をつけなきゃいけない」
術後から5年たち、再発したというニュースも入ってきてはいませんので、恐らくですが完治したのでしょうが、まだまだ再発というものには気を付けなければいけませんね。
坂本龍一
2014年6月末に中咽頭がんを告白された坂本龍一さん。
咽頭癌の初期症状として、喉の違和感や異物感が挙げられます。
坂本龍一さんはこの喉の違和感を感じて、人間ドックに行ったそうです。
しかし、なんとそこでは特にのどに異常は見つからなかったそうです。
正直、このときしっかりと人間ドックで咽頭癌が発覚していればもっと初期段階で発見できたはずですね。
しかし、坂本龍一さんの喉の異物感はどんどん増していくばかりでした。
今度はニューヨークの専門医へ。すると日本の人間ドックで発見できなかった癌が、ニューヨークの専門医では宣告されたのです。
そのままニューヨークの病院で治療を数カ月受けた坂本龍一さん。
いまも経過は良好のようですね。
宮迫博之
お笑い芸人雨上がり決死隊の「宮迫博之」さん。
2012年にスキルス胃癌が見つかり、切除手術と治療の為、芸能活動を休止されていました。
胃がんのステージ1Aの場合、初期症状はほとんどありません。
しかし、宮迫さんはダイエット後の体調不良の為、検査を受け見つかったようです。
「あと半年発見が遅れたら命は無かった」と医師に言われたそうが、1Aで半年後命はないって怖くないですか!?
胃がんの検査と言えば、「胃カメラ」が普通です。
しかし、宮迫さんを救ったのは、AICS(アミノインデックスがんリスクスクリーニング)という検査だそうです。
AICSは血液中のアミノ酸濃度を測定し、癌が発症しているか検査をするものです。
最近は人間ドックや健康診断で導入され始めており、気になる方は是非とも受けてみてはいかがでしょうか。
小西博之
小西博之さんは、「欽ちゃんファミリー」の一員として世間に広く知られるようになった俳優さんです。
小西さんは、2004年の夏ごろから血尿が出るようになったため、年末に精密検査を受診しました。
すると、全身に転移する恐れのある腎臓癌が発見されたため、翌年の2月、リンパを切除するなどの大手術を行いました。
現在、小西博之さんは前述の腎臓癌との闘病経験を語る講演活動を行っているそうです。
そして、その講演の際に小西博之さんは、「僕はコレを「勝利のV」と呼んでるんです!」と言って、シャツをまくし上げて左脇腹を見せ、肋骨から背中にかけて残ったきれいなV字の手術痕を見せることもあるそうです。
樹木希林
各年代の代表作に主演、助演関わらず出演している日本の名女優・樹木希林さん。
そんな樹木希林さんですが、2005年に乳癌を発見、さらに2013年には全身がんであることを公表されています。
2005年1月に乳癌を発見した樹木希林さん。乳房摘出手術を受けることになります。
無事に銀幕復帰を果たしましたが、2008年に癌が全身に転移してしまっていたことを告白されました。
しかし、樹木希林さんは手術を受けず、入院もせず、簡易的な放射線治療のみを行っているそうです。
樹木希林さんといえば2003年1月、網膜剥離になったのにも関わらず、治療を受けずに左目を失明したことで話題になったこともあります。癌の治療は積極的に受けていないのも樹木希林さんの信条があるのでしょうか。
原千晶
タレントとして、そして女優として大活躍してきた原千晶さん。
そんな原さんが癌が発覚したのは30歳の時でした。
「子宮頸がんステージ1a期」と診断された原さんですが、医師からは治療の為に「子宮の全摘出」を勧められました。しかし、原千晶さんは「子宮を残したい。」という気持ちが強かったらしく、子宮の摘出をしないことを決意します。
手術から約5年たったある日、ガンの転移が発覚したのでした。
今度は「子宮の全摘出」を勧められたのではなく、「子宮全摘出術」をしなくてはいけないと告げられるのです。
しかも今回は子宮だけではなく、卵巣や卵管等も全部摘出する「広汎子宮全摘出術」を行う必要があると。
結局のところ卵巣や卵管は温存して子宮のみを取り除く手術を受け、抗がん剤を治療されたとのことです。
渡哲也
元・株式会社石原プロモーション代表取締役社長で、日本の俳優・歌手です。
渡哲也さんはバリウム検査により、直腸の上にある、S字結腸とその奥の下行結腸にそれぞれ5ミリと7ミリ大のポリープがあることが発見され、さらに2か月後に受けた内視鏡検査ではポリープが4つ見つかりました。
これらは早期発見であったものの、それぞれのポリープの病巣が深かったため、直腸を約25センチほども切除するという、大手術となりました。
そして、この手術において渡さんはオストメイト(人工肛門使用者)となり、それを公表されました。
和田アキ子
現在テレビでは元気な姿を見せていますが、その裏には若いころの闘病生活、手術を克服してきた歴史がある和田アキ子さん。
1950年生まれの和田アキ子さんが子宮癌発覚したのが1981年ですから31歳の時の出来事です。
2回目の結婚で「さぁ、これから子供を・・・」という時期での発覚だったのです。
和田アキ子さんは自殺を考えるほどに苦悩し、再婚相手に離婚を求めたそうです。
子宮癌の場合や子宮筋腫、卵巣癌、子宮内膜症の場合において子宮を全摘出することがあります。
妊娠・出産を司る子宮を摘出するのですから、おのずと妊娠・出産をすることは不可能になります。
このような状況を避けるためにも重要なのは早期発見です。
間寛平
間寛平さんは、吉本新喜劇のスターで、また、趣味のマラソンにおいては、2008年にマラソンとヨットで世界一周をすると言うアースマラソンに挑戦し、2年1ヶ月の長旅を終え、無事に日本に帰国されて話題になりました。
しかし、このアースマラソンをはじめてから2年後、トルコにおいて、間寛平さんは前立腺がんを発症している事が判明したのだそうです。
当時の間寛平さんは「検査に入った1週間は、不安でこのアースマラソンを続けられるのか、この病気は治るのか、ひょっとしたら死ぬのかなとかいっぱい思いました」と語っています。
間寛平さんは2010年4月に1回目の外部照射を行い前立腺の外側のがんを殺し、その後6月1日にHDR療法を受け前立腺内部のがんを殺し、14時間に及ぶ手術は無事成功しています。
星野仙一
現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を歴任し、球界屈指の名監督として名をはせた楽天の星野仙一球団副会長である星野仙一さんが2018年1月4日に死去されていたニュースが出ました。
野球界の方々やファンの方々の間では悲しみが広がっています。
度々身体を壊していたこともあったそうですが、ついに2016年7月に急性膵炎発症を発症されてしまいます。
さらに、その急性膵炎をきっかけにすい臓がんが発覚してしまったのです。
初期症状を強いてあげるとすると、「なんとなく胃がすっきりしない」、「背中に違和感がある」程度であり、これらは「すい臓癌」特有の症状でもないため、見過ごされてしまうこともほとんどとなっています。
すい臓癌発見後も闘病を続けてきましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られたそうです。