1991年から約10年間、日本人として初めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップを務めた緒方貞子さんが亡くなられたことが明らかになりましt。協会で行われた葬儀では、生前親交の深かった上皇后さまも弔問され、その偉大さが伝わってきます。
緒方貞子プロフィール
本名: 緒方貞子
生年月日: 1927年9月16日
出身地: 大日本帝国東京府東京市麻布区
緒方貞子が92歳で死去
1991年から約10年間、日本人として初めて国連難民高等弁務官事務所のトップを務めた緒方貞子さん。92歳で亡くなり、10月29日に都内の教会で葬儀が行われてました。小柄な体に防弾チョッキを着用して世界各地の難民の現場を飛び回るなど、当時の徹底した現場主義の仕事ぶりが国連では現在も語り継がれています。
緒方さんが国連難民高等弁務官に就任してすぐ対応に当たったのは、1991年のクルド難民危機。湾岸戦争が勃発し、イラク内で迫害を受けたクルド人勢力がイラクとトルコの国境地帯に滞留した当時、国際条約上、国境を越えなければ難民として支援できなかった状況下で、UNHCR幹部職員の反対を押し切り、イラク国内でのクルド人への支援を決断。その揺るがない人道主義は多くの人の助けとなったのです。
東洋人女性に対する差別の中でも戦い続けた緒方貞子
当時、東洋人女性がトップとして就任するということは時代的にも稀なこと。それでも緒方さんは負けじと世界と戦っていった結果、彼女の就任をあまり良く思っていなかった職員らの評判は180度変わり、UNHCRの組織としての国際的評価も高まっていくきっかけとなりました。緒方さんは日本人女性の国際社会進出における先駆者といっても過言ではありません。
緒方貞子の葬儀に上皇后さまも弔問へ?
そんな偉大な功績を残した緒方さんの人脈も広く、生前は上皇后さまとも親交があったとされています。大学の後輩にあたる上皇后さまは、緒方さんの訃報を耳にされた後、都内の教会で行われた10月29日の葬儀に弔問されたそうです。2014年に夫の四十郎さんが亡くなってからは元気のない様子を見せていたという緒方さん。天国で旦那さまと安らかに眠っていることを祈ります。
まとめ
このように、日本の国際協力を率先してけん引してきた緒方貞子さん。92年という人生のほとんどを難民支援に捧げてきたこの功績は、これからも多くの方々の記憶に深く刻まれていくことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください。