降谷建志は芸能人の息子、いわゆる2世タレントですが、親の力に頼らずに音楽の道で成功を収めています。降谷建志はDragon Ashというミクスチャーロックバンドを組んでいます。Dragon Ashではほとんどの曲を作詞、作曲していて、メインボーカルでもあります。特定のジャンルにこだわらない音楽作りに定評があり、長い間日本の音楽シーンの先頭を走り続けています。
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また、Dragon Ashの降谷建志はファッション界にも大きな影響を与えています。多くの雑誌の表紙を飾り、ストリート系のファッションではファッションリーダー的な存在です。ストリート系のファッションだけではなく、ワイルドにアメリカンカジュアルファッションを着こなしたり、ストリート系のファッションにテーラードジャケットなどのフォーマルな要素を織り込んだりするのも得意です。
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身長は低く、スタイルは良いとはいえないですが、着こなしのセンスは抜群で、存在感も大きいです。Dragon Ashのファン、降谷建志のファンはもちろんファッションを真似しますが、Dragon Ash、降谷建志の音楽に興味がない人でも、降谷建志のファッションのファンはいるという異色の存在です。1990年代に突如として音楽シーンに現れたDragon Ashは、「陽はまた昇り繰り返す」、「百合の咲く場所で」、「天使のロック」など、ロックテイストが強い曲で音楽界に強いインパクトを与えます。ここから数年を経て、ヒップホップの要素が強くなっていきます。「グレイトフルデイズ」、「Life gose on」などヒップホップテイストの曲が爆発的にヒットします。point 386 | 1
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しかし、「グレイトフルデイズ」、「Life gose on」の2曲は、後にヒップホップシーンのカリスマであるジブラとの確執の原因になってしまいます。ジブラが組んでいたキングギドラというヒップホップグループは、Dragon Ashの降谷建志を強烈に罵る内容の「公開処刑」という曲をリリースします。これによる影響かどうかはわかりませんが、Dragon Ashの音楽性は再び変化をし始めます。
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「ファンタジスタ」という曲をはじめとした、ミクスチャーロックの曲が増え始めます。ミクスチャーロックで成功を収めているバンドが少ない中、Dragon Ashは次々とヒット曲を生み出していきます。そして、今のDragon Ashの形が出来上がります。ロック、ヒップホップ、ミクスチャーロックなど様々な音楽を得意としているDragon Ashは、ジャンルにこだわらない自由な魅力があります。
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降谷建志はその独自のカリスマ性を活かし、一人での活動も目立っています。Dragon Ashというグループではできない、一人で作り出す音楽を楽しんでいるようにも見えます。降谷建志のファッションや髪型はオリジナリティがあり、真似をする人が多いです。デビューから20年近く経っているにもかかわらず、ファッションや髪型に古さを感じないのは、降谷建志という人物がセンスの塊だからでしょう。音楽の世界で長年活躍できる人はほとんどいません。毎年旬な人、旬なグループが出現しては消えて、出現しては消えての繰り返しです。point 318 | 1
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音楽というのは、人気を定着させるのが非常に難しいのです。人気を定着させるには、長い間愛される曲を作ったり、常に魅力的な存在でい続けなければいけません。Dragon Ashと、降谷建志はその両方を実現しているので、未だに高い人気を得ているのだと思います。ちなみに、Dragon Ashの降谷建志の奥さんは、元グラビアアイドルのMEGUMIです。MEGUMIとの仲を語ることはないですが、仲は良いみたいです。