アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた中村哲医師が12月4日にアフガニスタンの東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃、その後病院で手当てを受けていましたが死亡が確認されました。このような中村医師の訃報に、日本でも外務省をはじめ、怒りの声を隠すことができません。
中村哲プロフィール
本名: 中村哲
生年月日: 1946年9月15日
出身地: 福岡県
中村哲医師がアフガニスタンで銃撃され死去
福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師である中村哲さんが現地時間の4日午前、日本時間の4日午後、ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃されました。中村医師はけがをして病院で手当てを受けていましたが、病院関係者や地元の当局者によりますと、その後、死亡が確認されたとのことです。
腹部には銃弾2発が撃ち込まれていた
中村医師は病院に運ばれた当時にはすでに容体が悪く、一刻も早い手術が必要な状態でした。腹部には銃弾2発が撃ち込まれており、担当した医師によると、集中治療室で治療を行い、容体はいったん安定したものの、その後、地元の空港に搬送される途中で亡くなったとされています。また、地元の警察などによれば、同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したとのことです。
中村医師は銃撃を受けてけがをしたあと、現場近くのナンガルハル州の病院に搬送されました。この後、首都カブール近郊に移されることになりましたが、NHKの取材班が現地で撮影した映像では、中村医師がストレッチャーに乗せられ、救急車でカブールに向けて出発する様子が確認できます。
現場の状況は?
中村医師が乗っていたとされる白いピックアップトラックには、フロントガラスに銃弾によって開けられたとされる3つの穴があるほか、運転席側の窓ガラスが粉々に割れているといいます。現場に居合わせた男性によれば、当時の状況についてこのように証言しています。
「警備員や運転手、そして日本人に対して銃撃があった。日本人の男性は頭をあげた時に負傷した。そして周囲が『彼はケガをしている。搬送しよう』と言ったら襲撃犯が武器を向けて『動くな』と言ってきた」
イスラム過激派の多いナンガルハル州
中村医師が銃撃されたアフガニスタン東部のナンガルハル州はパキスタンと国境を接する山岳地帯を拠点として、イスラム過激派の活動が活発な地域です。ここ数年は過激派組織であるIS(イスラミックステート)の地域組織が活動を活発化させているほか、ISと対立する反政府武装勢力であるタリバンもテロや襲撃を繰り返し、治安の悪化に歯止めがかからない状態が続いています。
外務省をはじめとした多くの機関が怒りの声
福岡県出身の中村医師は35年前、パキスタンのペシャワルに赴任したのをきっかけにパキスタンと隣国のアフガニスタンで医療支援を行ってきました。さらに、16年前からは干ばつで苦しむアフガニスタンの人たちを助けようと用水路の整備など、農地の再生にも取り組んできました。このような活動が評価され、中村医師はアフガニスタン政府から名誉国民に認定され、今年10月に市民証が授与されました。このように、アフガニスタンには無くてはならない存在である中村医師の訃報には、多くの機関が哀悼と怒りの声を寄せています。
今回の中村医師の訃報を受け、外務省幹部は午後5時半過ぎ、記者団に対し「地元当局から、日本の大使館に対して『中村さんが亡くなった』という連絡があり、それをもって外務省としても死亡を確認した。心からお悔やみを申し上げたい。今後、ご家族などに対して、できるかぎりの支援を行っていきたい」と話しています。また、現地で活動している国連のアフガニスタン支援団はツイッターに以下のような声明を発表しました。
「広く尊敬されている日本の中村医師が殺害されたことはおぞましく、糾弾する。アフガニスタンの弱い立場の人々を助けるために人生をささげた、彼に対する愚かな暴力だ」
まとめ
このように、今後も事件の経緯について現地で調査が進められると思われますが、今回の中村医師の訃報は、長きにわたりアフガニスタンへ貢献してきた名誉を傷つけたといっても過言ではないため、日本でも、またアフガニスタンでも波紋が相次いでいます。非常に残念ですね。ご冥福をお祈りいたします。