近年低迷が囁かれている、日本長距離界においてようやく表彰台を狙えるランナーが台頭してきました。その選手とは、2017年ボストンマラソンで初マラソンながらも3位に入賞した大迫傑です。今回の記事では、大迫傑を詳しく紹介していきます。
大迫傑とは?
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大迫傑とは、ナイキオレゴンプロジェクトに所属している陸上競技の長距離選手です。1991年に東京都町田市に生まれ、本格的に陸上を始めた中学時代から早くも全日空で3位に入賞するなど輝かしい実績を残していました。2007年にはその走力が高く買われ、長野県にある駅伝の名門佐久長聖高校にスカウトされ入学を果たしました。高校になると彼の能力はさらに開花し、佐久長聖高校のエースとして数々の記録を打ち立てています。
また高校卒業後は早稲田大学に進み、高校と同様早稲田のエースとして箱根駅伝を筆頭に様々な大会で優勝しその名を全国中に轟かせました。また目鼻立ちの整ったジャニーズのようなルックスが、多くの女性ファンを虜にしているイケメンランナーとしても有名です。
実業団に入ってからの活躍は?
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大迫傑は大学を卒業後、期待のルーキーとしてこれまた実業団駅伝の名門である日清食品と所属契約をしています。またこの時はすでにナイキオレゴンプロジェクトとにも所属していたため、二重に籍を置く実業団ランナーとして話題を集めました。実業団に入ってからの彼の活躍は特に目覚ましく2014年アジア大会10000 m 銀メダルや、3000メートルと5000メートルの日本新記録達成など様々な実績や記録を打ち立てました。特に大迫の活躍を説明する上で、記憶にも新しいのが2015年のニューイヤー駅伝でしょう。実業団1年目として華々しくデビューを飾り、ラスト1 km からは独走態勢を築き日本を代表する実業団ランナーから圧倒的な勝利を収めたのです。しかし大迫は同年3月に突如、日清食品との所属契約を解消し日本からも姿を消してしまいました。
プロランナーとしてアメリカで始動!
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大迫選手が向かった先は、ナイキオレゴンプロジェクトの本部があるアメリカでした。大学時代から結婚していたため、プロランナーとして家族も引き連れ渡米したようです。日本の実業団を離れた理由は、オリンピックなどで世界と戦える総力を身につけたいため駅伝重視の練習になっている実業団の練習とは肌が合わなかったということです。
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そしてアメリカに渡米してからの大迫選手は、走力が世界規模にアップしました。日本選手権にはプロランナーとして毎年登場していますが、走りそのものが別格であり日本人には敵がいないといった状況です。そして2017年ボストンマラソンでは待望の初マラソンに挑戦し、2時間10分28秒という好記録で3位に入賞しました。なおこの大会で表彰台に立ったのは日本の伝説的ランナー瀬古利彦以来であり、歴史的快挙を成し遂げました。
まとめ
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日本はかつてマラソン王国として長年君臨してきましたが、現在は男女ともに低迷の一途をたどっています。大迫選手の台頭によりそんな日本のマラソン界にもようやく明るい光が差し込んできました。2020年東京オリンピックでは、きっと素晴らしい活躍を見せてくれるでしょう。