X
    Categories: CELEBISSUE

歯に衣着せぬ物言いで有名なデヴィ夫人の波乱万丈人生


デヴィ・スカルノ  デヴィ夫人
川奈ルミ「貫く愛」(作詞デヴィ・スカルノ)公開レコーディング

◼︎日本のメディアでも有名なデヴィ夫人

デヴィ夫人は、インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人だった方です。
現在の彼女は、日本国内のさまざまなテレビ番組に出演しており、世界の果てまでイッテQ!などに人気番組でも活躍されています。
元大統領夫人というセレブな経歴を持ちながら、バラエティー番組に多数出演して、視聴者を楽しませてくれるので、芸能界においても貴重な存在となっています。
彼女は、歯に衣着せぬ物言いをすることでも多くの人の注目を集めている方です。
時々、問題発言と受け止められてしまうような過激な意見をすることもあり、周囲の人を驚かせてしまうこともあります。
そんなテレビ番組での発言の影響で、彼女に対してキツイ性格の女性なのではというイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。

point 437 |

ADVERTISEMENT

point 0 |
また、インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人ということで、セレブで華やかな世界の人だと思っている方も少なくないことでしょう。
実は、デヴィ夫人は、大変な苦労人であり、波乱万丈の人生を過ごされてきた方なのです。
彼女の人生について、少し紹介させていただきます。
一般的には、デヴィ夫人という呼ばれ方で多くの人に知られていますが、彼女の本名は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノです。
Ratna Sari Dewi Sukarnoと表記されます。point 263 | 1

ADVERTISEMENT

◼︎彼女が日本出身?

彼女の出身地はインドネシアではなくて、日本なのです。
かつては、根本 七保子さんという日本名を名乗っていました。
生まれた場所は東京都港区西麻布で、貧しい家庭出身の方だったようです。
若いころは、働きながら定時制高校で勉強するという苦労人でした。
彼女父親が亡くなり、生活がより厳しくなったため、学校をやめて東京赤坂の高級クラブで働き始めます。
彼女はとても美しい女性であったため、お店で人気ものだったようです。
その美貌が評判となり、19歳の時に東日貿易の秘書としてスカルノ大統領のところへ送りこまれたといわれています。
大統領夫人となったことで、幸せを手に入れたかのように思われていましたが、マスコミに追われるストレスで母親が亡くなったり、実の弟である八曾男さんが自殺したりして家族との悲しい別れを経験しています。point 411 | 1

ADVERTISEMENT

point 0 |
さらに、1965年の9月30日に、軍事クーデターが起こり、スカルノ大統領が失脚すると、彼女は厳しい立場に置かれるようになり、一時的にフランスに亡命しています。
スカルノ大統領が亡くなった後は、数々の男性との恋のうわさもあったようです。
社交界の華と呼ばれるほどの美貌の持ち主であったため、多くの異性を引き付けてやまなかったのでしょう。
1992年の1月2日には、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャさんに対して暴行を行ったことで逮捕されています。ミニー・オスメニャさんの顔をシャンパングラスで殴打して、37針縫うほどの怪我を負わせてしまったと報道されています。
その後、日本に帰国して、テレビ番組に積極的に出演して、タレントとして活躍するようになったのです。point 391 | 1

ADVERTISEMENT

◼︎辛い思いの多い人生を送ったデヴィ夫人

このように、歯に衣着せぬ物言いで知られるデヴィ夫人は、実は波乱万丈の人生を経験している苦労人だったのです。
色々な経験をして、さまざまな視点で物事を見つめてきた彼女だからこそ、あのようなインパクトが強い発言ができるのかもしれません。
靖国神社や憲法9条や皇室問題など、テレビでは気を遣うような問題に関しても堂々と意見を述べており、臆するような態度は見せません。
そのはっきりしたもの言いに対して、否定的に受け止める方もいる一方で、強く共感されるファンの方も多いようです。
今後も、デヴィ夫人がどのような発言をしていくのか、多くの方が注目していることでしょう。point 345 | 1

ADVERTISEMENT