2020年5月以降、三浦春馬さん、木村花さん、竹内結子さんなどとても多くの芸能人が〇、もしくは自〇と考えらえる状況で亡くなられ、ファンも驚きを隠せませんでしたね。
しかし、実際は過去にも多くの芸能人が亡くなられています。
自〇大国の日本・・・
日本ではここ10年、連続3万人超とマスコミでも報じられ問題になっています。
しかし日本には年間15万人ほどの変死者がおりその半分を自〇者としてカウントするので、公表すべき自〇者数は本当は11万人ということで、これは実に他の先進諸国の10倍です。
そんな日本の芸能界も自〇する人が多いのです。
今回は自〇とされている芸能人についてまとめました。
清水由貴子
1959年9月7日 – 2009年4月20日
「お元気ですか」などのヒット曲で知られるタレント清水由貴子さんが2009年、静岡県内にある冨士霊園で亡くなっているのが発見された。
49歳だった。父親の眠る墓石の前で倒れており、硫化水素を吸い込んで自〇したとみられる。
コートにズボン姿で靴をはいた清水さんが横向きに倒れていた。近くには身分証、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」などと書かれたA4判の紙2枚とノートがあった。
砂利を敷き詰めた地面と顔の間には、20リットル容量の黒いポリ袋があった。袋の中には洗面器と洗剤などの入った複数の容器があり、中には合わせると硫化水素を発生する溶剤が入っていた。死〇推定時刻は20日午後5時ごろとみられ、死後硬直がかなり進行していた。清水さんは、タクシーで霊園に向かったとみられる。
また、清水さんの側には、母親とみられる車いすに座った80歳ぐらいの女性が雨に打たれていた。
伊藤隆大
1987年6月25日 – 2009年3月8日
神奈川県相模原市相模湖町の石材会社の駐車場に止めてあった乗用車内で死〇していた。
隆大さんは後部座席にもたれかかり、車内から練炭や家族あての手紙が見つかったため、自〇とみている。
ブログの最後の記事は「高校クラス会★」と題し、「酒に弱くなりました」と書き込む一方で「3月からの撮影にむけて、ダイエットのために禁酒再開! 頑張りまーす」と前向きにつづっていた。
遺書は8通あったという。内容は公表されていない。
加藤善博
1958年10月7日 – 2007年4月27日
俳優の加藤善博さんは1980年代のドラマでは悪役を数多く演じられた俳優。
個性派俳優として映画・テレビドラマ・舞台と幅広く活動していたが、2007年4月27日、東京都渋谷区内の公園で首吊り自〇した。
遺書の有無は公開されなかった。
又野誠治
1960年11月25日 – 2004年3月23日
ドラマ「太陽にほえろ!」でブルース刑事役を演じた又野誠治さん。
2004年3月23日、経営する飲食店「Aサイン」の店内で首に布を巻き倒れているのを奥様が発見し、病院に搬送されるも死〇が確認された。
遺書などは残っておらず、亡くなる前年に結婚、数ヶ月前には子供も生まれている幸せの最中での自〇だった。
又野さんは83年7月から、ブルース刑事として「太陽に―」に出演。最近は飲食店を経営する一方、映画やVシネマなどの仕事をしていたというが、所属事務所によれば「事務所を通しての最後の仕事は2年前のVシネマ」といい、周囲にも「どうして自分には仕事が来ないのか」と漏らしていたという。
古尾谷雅人
1957年5月14日 – 2003年3月25日
役にこだわるあまり気に入らない仕事は断り、次第に仕事が減少して悩んでいたという古尾谷さん。お酒を飲むと人格は豹変し、夫から暴〇を振るわれたことも妻が明かしている。
生活は苦しくなり、ローン地獄に陥ると、最終的に借金が3億円まで膨れ上がった。妻が、家計を支えるために働き出すと、その頃から古尾谷さんは「万が一、死んだとするよね」「僕が死んだら、僕の偉大さがわかるよ」など、死を連想させる言葉を放つようになり、ほどなくして古尾谷さんは帰らぬ人になった。
塩谷庄吾
1966年9月11日 – 2002年5月5日
「電脳警察サイバーコップ」の北条明役として、またマーズ役の声優も務めていた塩谷庄吾さん。また、千葉真一さん監督のオリジナルビデオ「HAKEN 覇拳」と同作の香港版である「覇道熬星」では主演も務めていた。2002年、道玄坂のビルから飛び降り自〇。
沖田浩之
1963年1月7日 – 1999年3月27日
元アイドルで俳優だった沖田浩之さん。「3年B組金八先生」の松浦悟役として人気が出た。
俳優として活躍されている中、1999年3月27日に自宅で首を吊り自〇。自〇の原因について当初は不明とされていたが、数後年、実兄が経営する会社の借金の連帯保証人になっていたことがわかり、この借金を苦に自〇したのではないかと推測された。また、沖田浩之さんのご家族は祖父、父、兄、沖田浩之さんと4名が自〇している。
共演した武田鉄矢は、沖田の告別式のインタビューで「いままで格好いい生き方してきた彼には辛かったのかもしれない」と語った。
可愛かずみ
1964年7月9日 – 1997年5月9日
女優として多くのドラマに出演してきた可愛かずみさん。1991年頃に出演したドラマで共演女優から罵倒されたことをきっかけに、睡眠薬などの薬に頼るようになったと言われている。1995年、ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎さんとの交際が発覚し結婚間近と言われたが、翌年に破局。
仕事のストレスも重なり1997年5月9日、3度目の自〇未遂の後、病院を抜け出して川崎憲次郎さんが住むマンション7階から飛び降り自〇を図り、後に死〇が確認された。亡くなった翌日には実業家である男性と婚約し、7月には結婚の予定もあったと言われていた。また、近年可愛かずみさんの実父が遺書が残されていたことを発表されている。
志村けんや川上麻衣子、岡本かおり、森尾由美と親交が深く、とても素直で明るい子だと評判が良かった。他にもダウンタウンの松本人志、とんねるずの石橋貴明、高嶋政宏などがファンだったと公表している。みんなから愛される純情なアイドルだった。
苺みるく
売れっ子A〇女優だった苺みるくさん。2012年10月に中野の自宅で自〇、詳細については発表されていない。
過去には福岡ソフトバンクホークスの吉武真太郎選手と不倫後に自〇未遂や自〇予告、また写真週刊誌にも「私を弄んだソフトバンク吉武投手を許さない!」と記事が掲載された。その後、精神的に不安定になり自〇。
上原美優
1987年5月2日 – 2011年5月12日
「種子島出身の貧乏アイドル」としてバラエティ番組で活躍していた上原美優さん。
2011年5月11日、自宅マンションで交際中の男性と過ごしていた上原美優さんは「一人にして欲しい」と男性を外出させた後、首吊り自〇を図り、搬送先の病院で死〇が確認された。上原美優さんが残したと思われる遺書や、交際相手をめぐっての噂など、亡くなられた後も自〇を疑問視する声が現在も根強く残っている。point 159 | 1
亡くなる直前に書かれたというメモが話題になったが、あれは上原美優のものではなく、デマだった。
牧野田彩
1996年、テレビ番組「ASAYAN」に出場。牧野田は16歳の現役女子高生5人による「ロリータ・チーム」の中心メンバー「AYA」としても注目を集めた。
2009年、AYA名義でA〇デビュー。元小室ファミリーのビッグネームだけに、新人女優としては破格のギャラが支払われたようだ。
徐々に精神を病み、翌年には都内の自宅マンションから「死んでやる」「助けて」と錯乱しながら飛び降りて亡くなった。
かねてから薬やタレントの愛人など黒い噂が絶えなかったといわれている。自〇する数日前から、「芸能界の大物にころされる」と親しい友人に訴えていた。
麻生美由樹
1986年1月28日[1] – 2008年4月18日
実名でA〇に出演し、多数の芸人との関係も明かした麻生美由樹さん。そのためキングコング西野さんのブログで
「50人以上の芸人とやったといって、ツーショット写真やメールのやりとりを公開していた女が非常にムカつくということです。暴露本なんかを出す糞野郎と同じ理由であの女が嫌いです。」と非難され、それをきっかけにネットバッシングが始まった。自〇する1週間ほど前には某掲示板に「麻生美由樹」の名前で自〇する旨の書き込みもしていた。2008年4月18日、自宅マンションで硫化水素を発生させ自〇しているのを発見された。point 252 | 1
犬丸りん
1958年 – 2006年9月10日
TVアニメ「おじゃる丸」の原案者であり、漫画家、エッセイストでもあった犬丸りんさん。2006年9月10日、東京都の14階建ての自宅マンション屋上から飛び降り、隣の5階建てマンション屋上まで転落。マンション住民の通報により病院に搬送されるも死〇が確認された。母親に宛てた遺書には仕事のことで悩んでいたと書かれていたようだ。
青山景
1979年9月26日[1] – 2011年10月上旬
青年漫画誌「イブニング」で「よいこの黙示録」を連載していた漫画家の青山景さん。
2011年10月9日に浴室で首を吊った状態で発見され、死〇が確認された。遺書は残っていなかったものの、2011年10月5日から死を連想させるような意味深なツイートを残し、「まあ、やり残したことや、やりたかった夢などはいっぱい残ってはいるけど、「思い残すこと」はあまりないのだ。僕は、僕が生きた32年に、結構満足しているのだ。」と最後の書き込みをされてしていた。
2代目桂枝雀
1939年8月13日 – 1999年4月19日
「爆笑王」と称され、人気噺家だった2代目桂枝雀さん。
真面目な性格から2度に渡り鬱病を発症し、1999年3月13日、大阪府の自宅で首を吊っている所を家族に発見され、病院に搬送されるが一命は取り留めた。しかし脳浮腫により植物状態が続き、意識が回復することなく同年4月19日に亡くなった。遺書は無かったが、代わりに鬱病から回復してやりたかった連続独演会のネタ順が書かれたメモがあった。
4代目桂三木助
1957年3月29日 – 2001年1月3日
3代目桂三木助さんの息子であり、「落語界のシティーボーイ」と称された4代目桂三木助さん。
落語家だけでなく、俳優やリポーターとしても活躍していた。1996年頃から奇行が目立ち始め、2001年1月3日、自宅ベランダの物干しフックに手ぬぐいを掛け首を吊っているのを発見され、病院に搬送されるも死〇。
「か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」と遺書が残っていた。遺書の最初にある「か」については何を意味するのかは不明なまま。病気による体力低下や保証人になり負債を抱えていたこともあり、鬱病を患っていた。
後日都内のホテルにて、林家こぶ平などの親しかった落語家たちにより、三木助を送る会『さよなら!ミッキー』が催された。このとき小朝は「もし生き返らせることが出来るなら、生き返らせたい」と発言している。
ポール牧
1941年8月2日 – 2005年4月22日
「指パッチン」の芸で知られるコメディアンでありタレントのポール牧さん。
2005年4月22日、自宅マンションから飛び降り自〇を図り、歩道に倒れていた所を通行人により発見された。2000年に女性へのセク〇ラで告発され「僕にはパワーがあるから、彼女に与えようとした」などと釈明したため、講演活動を中心とした仕事が激減し、加えて、司友山一道寺の運営も行き詰まっていったといわれる。
牧伸二
1934年9月26日 – 2013年4月29日
ウクレレを弾きながら「やんなっちゃった」のフレーズで一世を風靡したウクレレ漫談家の牧伸二さん。
2013年4月29日午前0時15分頃、東京都大田区の多摩川丸子橋付近で投身し、病院に搬送されたが死〇が確認された。入水自〇とみられる。78歳没。前日の28日午後1時半に上野広小路亭で舞台に出演し、その後、午後4時10分から浅草東洋館でも舞台に出演する予定だったが、「少しお茶を飲んでくる」と言って席を立ち、午後3時頃に喫茶店を出た後行方不明になっていた。
遠藤康子
1968年10月21日 – 1986年3月30日
人気ファッション雑誌「オリーブ」「mcシスター」で活躍し、その後ドラマ「スケバン刑事」の海槌亜悠巳役で注目を集めた遠藤康子さん。
歌手デビューする直前の1986年3月29日、東京都のビルの屋上から飛び降り自〇を図る。後に「遠藤康子さんの恋人が涙の告白」という記事が週刊誌に掲載され、恋人と別れることを事務所に迫られらことが自〇の原因だと言われている。
遠藤の死からほどなくして(4月8日)岡田有希子が同じように飛び降り自〇をしており、遠藤康子の自〇が影響を与えたのではないかという見方もあった。
岡田有希子
1967年8月22日 – 1986年4月8日
全国コンサートがスタートして3日後の4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自〇未遂。
2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番と東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという。現場から程近い北青山病院にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビルの屋上から飛び降り、全身強打で即〇した。享年20(満18歳没)。遺書とみられる、鉛筆書きの便箋が残されていた
1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていたが
wikipedia.point 10 | org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%9C%89%E5%B8%8C%E5%AD%90#cite_note-naze-1">[1]
、人気絶頂だった1986年(昭和61年)に飛び降り自〇した。この報道に端を発した若者の相次ぐ自〇は、大きな社会問題となった。当時のこの現象を「ユッコ・シンドローム」と呼ぶこともある。point 177 | 1
堀口綾子
1973年2月17日 – 1995年4月19日
イエローキャブに所属するセ〇シーグループ「みるく」のメンバーだった堀口綾子さん。「スーパージョッキー」の名物コーナーである熱湯風呂に入ったり、CDを発売したり様々な活動を行っていた。
しかし、同グループは1995年(平成7年)3月を以って『スーパージョッキー』を降板、ほどなくして解散となった。関係のあった音楽家との協業や海外での音楽活動の継続の方向を探っていたが、仕事の方向性に関して事務所と衝突もあり、同年4月19日、自宅で首吊り自〇を図り命を絶った。享年22歳。
南条あや
1980年8月13日 – 1999年3月30日
ネットアイドルの元祖でもあった南条あやさん。当時、現役の高校生だった南条あやさんは薬事ライターの町田あかねさんに文才を認められ、日記を公開し、ファンクラブも出来るほどの人気だった。
卒業式を終えて20日後の1999年3月30日正午ごろ、一人でカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用し昏睡状態で病院に搬送される。蘇生処置をするが、その後死〇。まだ18歳の若さだった。しかし、本人は薬〇にたいしての知識が十分あり、服用した薬も致死量には満たなかった。そのため、本人に明確な死の意思があったかは不明。未だに推定自〇とされているが、司法解剖の結果、日常的に繰り返した自傷行為により、心臓の弁に穴が空いていたことが結果としての死因に結びついた。20歳になったら年上の恋人と結婚することになっていたが、彼女の死によってかなわぬものとなった。葬儀にはファンも参列し、葬儀に行けなかったファンらはネット葬なるものを行った。point 325 | 1
父親の鈴木健司は彼女の死後、リタリンなどの処方薬による薬〇依存症の恐ろしさや自〇で家族を失った遺族の悲しみを何度かテレビや誌面などの媒体を通して語っている。また、戒名はペンネームをそのまま使用した「南条あや信女」とされ、父自身の身体を位牌とするべく、戒名が刺青によって父の身体に刻まれている。
戸川京子
1964年8月13日 – 2002年7月18日
歌手の戸川純さんの実妹でタレントの戸川京子さん。元夫はZIGGYのドラムを担当していた大山正篤さん。
戸川京子さんは2002年7月18日、東京都の自宅マンションで首を吊っているのを事務所スタッフに発見された。遺書は見つかっていないようだが、持病の喘息があったことから病気を苦にしての自〇ではないかと言われてる。
伊藤京子
1959年9月1日 – 2000年2月21日
女優の伊藤京子さんは、石坂浩二さんと愛人と噂されていた。1982年に石坂浩二さんがヌ〇ド写真を撮影するという企画で知り合ったお二人は、半同棲生活を送っているとまで言われていた。2000年2月21日、相模原駅で飛び込み自〇を図り亡くなった。後に石坂浩二さんは伊藤京子さんとは別の方と再婚され、不倫相手と噂されていた伊藤京子さんとは無関係であることがわかった。
玄也
アクション俳優やスタントマンとして活動し、劇団EXILEの舞台にも出演されていた玄也さん。
2012年11月22日に自〇している姿を発見された。詳しい死因などは公表されなかった。自〇する前日夜に早乙女太一さんら友人と食事をした際、「明日俺死ぬから」「朝9時過ぎくらいに警察を呼んで欲しい」などと話していて、残された遺書には誰にも相談出来ない苦悩や悩みなどが綴られていた。
なお、早乙女は死〇の第一発見者だったという報道を否定している。
まとめ
芸能界は生き残るにも大変ですね。
うつ病などの精神的なものも多いようです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
[著作権者VONVON /無断コピー、無断転載および再配布禁止(違反時の法的措置)]