本田圭佑というと、その派手な見た目に加えて、強気な発言が印象的です。その強気な発言はビッグマウスと言われていて、本田圭佑の象徴する言葉でもあります。本田圭佑はビッグマウスで批判を受けることもあります。しかし、その批判の声すらも自分のエネルギーに変えてしまう能力を持っています。プロスポーツ選手は、結果でしか評価されません。どんなに頑張って練習していても、試合で結果を残すことができなければ、その選手の評価が上がることはありません。
point 0 |
写真:soccer-king.point 65 | jp
さらに、常にプレッシャーにさらされていて、結果が出ない時は強烈に批判されます。本田圭佑のように影響力が強く、チームの勝利を求められる選手は、特に強烈な批判を浴びます。批判は期待の裏返しでもあるので、批判を受けるというのは一流の条件でもあります。プロサッカー選手である本田選手は、常にピッチで結果を残すことを求められます。本田選手は批判を力に変えて今の地位まで駆け上がってきました。本田選手は元々才能があった選手ではないのです。厳しい環境に身を置くことと、努力で積み上げてきた結果が今の本田圭佑なのです。本田圭佑は元々はガンバ大阪のユースチームに所属していました。しかし、そのユースチームには絶対的なエースがいて、本田圭佑はレギュラーにもなれないような状態でした。point 398 | 1
point 6 |
写真:number.point 66 | bunshun.point 74 | jp
そして、本田圭佑はユースチームの昇格に失敗してしまいます。そこで、本田圭佑が取った行動は、高校サッカーの強豪校への進学でした。その高校で本田圭佑は覚醒します。エリート集団であったユースチームから戦力外扱いを受けて、高校サッカーで泥臭くプレーをして、努力をしてJリーグのスカウトの目にとまります。Jリーグでは名古屋グランパスでプレーをして、その後オランダのクラブチームに移籍します。オランダのチームでも自分のプレースタイルに悩み、一時期はチームの不振と重ね合わせるように調子を落としていきます。point 322 | 1
point 6 |
写真:huffingtonpost.point 74 | jp
チームは2部に降格するのですが、本田圭佑はあきらめることなく努力を続けます。そして、新たなプレースタイルを身に付けます。それが貪欲にゴールを狙うプレースタイルです。強烈で正確な左足のキックを持っていた本田圭佑は、積極的にゴールを狙うようになります。今までならばパスを選択していたところからも、どんどんシュートを打っていきます。point 239 | 1
point 6 |
写真:number.point 66 | bunshun.point 74 | jp
そのシュートが次々にゴールネットを揺らすようになります。ゴールを狙うストライカーのようなプレースタイルを身に付けた本田圭佑は、チームを2部の優勝に導きます。そして、鳴り物入りで日本代表に加入します。当時の日本代表のエースは中村俊輔選手でした。中村俊輔選手はセリエA、スコットランドリーグでキャリアを積んでいて、年齢的にも円熟期でした。当時の日本代表は中村俊輔選手を中心としたチームで、中村俊輔選手にかわる選手はいないと言われていました。しかし、その日本代表に本田圭佑は一石を投じます。本田圭佑は、当時絶対的なエースだった中村俊輔からフリーキックのキッカーを奪おうとします。中村俊輔といえばフリーキックの名手として知られていて、マンチェスター・ユナイテッドからもフリーキックで2ゴールを奪っています。その中村俊輔に対して、本田選手は「自分に蹴らして欲しい」と主張します。その時は中村俊輔選手がフリーキックを蹴りましたが、絶対的なエースに食い下がったのは本田選手が初めてでした。point 513 | 1
point 6 |
写真:vogueword.point 69 | click
その後、ワールドカップに向けて日本代表が不調になっていく中で、中村俊輔も調子を落としていきます。そこで、岡田監督は中村俊輔を外し、本田選手を1トップに置き、守備的なスタイルを採用します。このスタイルが見事にはまり、ワールドカップでは大方の予想を裏切った活躍を見せます。point 208 | 1