日本最大の冤罪事件と言われているのが、袴田事件です。
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1966年に静岡県で一家4人が惨殺されて放火された袴田事件では、袴田巌氏が強盗殺人などの罪に問われ、死刑が確定していました。しかし、静岡地裁は再審開始を認める決定を出し、刑の執行停止も決めたのです。刑が一旦確定した事件について、再審が開始されることは、非常に稀です。袴田巌氏は、逮捕から約50年も刑務所の中にいました。死刑が確定してから、怯えながら暮らしていたのです。静岡地裁は、捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的な疑いが残るとして、これまでの捜査や裁判所の判断に誤りがある可能性を示しました。袴田事件は、証拠のねつ造や自白の強要など、捜査側のずさんさが目立っています。
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1966年6月30日に静岡県清水市で起こった袴田事件は、味噌製造会社の専務宅が火事になり、専務と妻、次女、長男の遺体が発見された事件です。被害者には、全員刺し傷が多数あったため、事件として捜査が開始されます。そして従業員であった元プロボクサーの袴田巌氏が逮捕されます。袴田氏は、逮捕当初から犯行を否認していましたが、約1か月後には自白します。公判が開始された後は、一貫して否認を続けていましたが、最高裁で死刑が確定します。逮捕直後から自白するまで、袴田氏に対しては厳しい取り調べが連日行われていました。長時間に及ぶ取り調べで体は疲れ切り、ほとんど寝られない状態だったと言います。袴田氏は、過酷な取り調べで疲れ切り、体を休ませたい一心で罪を認めてしまったのです。
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この事件の問題は、捜査機関が証拠をねつ造し、早くから袴田氏を犯人だと決めつけたことです。実況見分調書に記載されている証拠品の状況と、警察発表による報道は食い違っており、事実でないことが事実として発表されてしまったのです。捜査本部が組み立てていた筋書きを、新聞各社が伝えていた可能性があるのです。証拠や論点が度々変わっていくという、本来ならばあってはならないことが起こったのが、袴田事件だったのです。長期間の拘留生活で、袴田巌氏の心身はボロボロになってしまいました。
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静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田氏の即時抗告審で、東京高裁は法医学者2人の尋問を行っています。地裁決定の根拠となったDNA鑑定を行った大学教授は、確定判決で犯人の着衣とされた衣類に付着していた血痕のDNA型が、袴田氏とは一致しないとしています。一方、高裁から鑑定が再現可能か委託された大学教授は、手法の有効性を否定しています。弁護側は、検証のやり方に疑問を呈しており、検察側は民間の研究機関にDNA鑑定に関係する実験を依頼して、新しい証拠を出す動きも見せています。高裁がいつ結論を出すのか、誰にもわかりません。
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袴田氏は、2014年3月に死刑の執行が停止され、釈放されています。ねつ造された疑いがある証拠で有罪とされた袴田氏は、長期間死刑の恐怖に怯えながら拘束されていました。それは、堪えがたいほどの正義に反するとして、釈放されたのです。地裁が捏造の疑いを持ったのは、DNA鑑定によるところが大きいものの、それだけではありません。証拠品の不自然さも指摘しています。高裁は、弁護団、検察との3者協議を開き、これからの審理の進め方を話し合います。弁護側は、結審するように求める方針でおり、審理はやっと大詰めを迎えつつあります。
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袴田巌氏は、81歳という高齢です。この事件によって人生の多くの時間を奪われてしまった袴田氏には、残された時間は少ないのです。プロボクサーであった袴田氏を支援している日本プロボクシング協会の関係者は、一日も早い無罪を勝ち取って自由になって欲しいと語っています。