永遠の妖精ともいわれたオードリーヘップバーン。ジバンシィを着こなし、上品でエレガントな姿からは想像もつきませんが、激動の時代を生き抜くために様々な経験をした苦労人です。晩年はユニセフ親善大使として精力的に活動していたことでも知られる彼女の秘められた過去とは…?
オードリーヘップバーン【プロフィール】
本名: オードリー・キャスリーン・ラストン
生年月日:1929年5月4日 没:1993年1月20日(63歳)
出身地:ベルギー生まれのイギリス人
血液型:非公開
オードリーヘップバーンの【来歴】
【デビューのきっかけ】
5歳ごろからバレエを習い始め、1944年ころにはバレリーナとして活躍。1948年に端役で映像作品に出演した後、経済的な理由から徐々にバレエから舞台女優への道を歩み始めました。
【これまでの来歴・出演情報】
初主演作は1953年公開の『ローマの休日』。主人公のアン王女を可憐に演じ、一躍脚光を浴びることとなりました。オードリーは、この作品でアカデミー主演女優賞など数多くの賞を受賞。その後『麗しのサブリナ』、『ティファニーで朝食を』など数々の名作に出演しています。
【事故・事件】
1954年に結婚したアメリカ人俳優との間に一児をもうけましたが、その子が誕生する前に二度、流産を経験。二度目の流産は『許されざる者』の撮影中に起こった落馬事故が原因とされています。point 403 | 1
オードリーヘップバーンの【性格・エピソード】
オードリーといえば、すらりとした体形と手足の長さから“妖精”とたびたび称されてきました。ファッションアイコンとして、様々な流行を生み出してきたことでも有名です。例えば『麗しのサブリナ』で着用した半端丈のパンツは「サブリナパンツ」という名称が定着したほどです。世界的に有名なジバンシィがオードリーの映画衣装を担当していたことは有名ですが、二人の関係はこの『麗しのサブリナ』という作品から始まります。当時、ジバンシィは会社を設立したばかり。映画会社から衣装提供の依頼を受けたとき、実は名女優であるキャサリン・ヘップバーンから依頼を受けたものと勘違いしていたそうです。しかし、相手がまだ駆け出しの女優であることを知ると、衣装提供に難色を示したジバンシィでしたが、彼の衣装をエレガントに着こなすオードリーの姿を見て衝撃を受けたようです。以降、二人は生涯の友となり、オードリーはジバンシィのキャラクターモデルを長年、務めることとなったのです。point 488 | 1
【噂話その1】オードリーヘップバーンはコンプレックスの塊だった
オードリーがデビューする前は、スレンダーなボディよりもグラマラスなボディに人気がありました。当時のハリウッドではマリリンモンローこそが女性美の象徴のような存在だったのです。一方のオードリーはその対極にある体形でしたから、ハリウッドで成功すると思われてはいませんでした。また、華奢な体形だけでなく、えらが張っている輪郭も高すぎる鼻も、オードリーにとってはコンプレックスだったといいます。大好きだったバレエを身長の高さから断念しなければならなかったことを考えると、スラリとした身長さえもコンプレックスになっていたかもしれません。しかし、オードリーはコンプレックスに負けませんでした。「自分の欠点と向かい合い、欠点以外に磨きをかけるのです。」これはオードリーの言葉です。そして印象的なアイメイク、きりりとした眉毛など、自分を輝かせるための研究を重ね、コンプレックスを克服していったのだそうです。point 475 | 1
【噂話その2】オードリーヘップバーンにスパイ疑惑が
オードリーは、戦時中、ナチスの占領下だったオランダで少女時代を過ごしました。母方はユダヤの血をひいていたため、オランダでは地下室でナチスの恐怖に怯えていました。叔父は処刑され、いとこも強制収容所に連行されてしまう中で、15歳だったオードリーはオランダのレジスタンス運動への協力を決意。バレエ公演で得たお金を提供をしたり、荷物やメッセージを送る活動を秘密裏に行っていたそうです。一度は、ドイツ兵に捕まってしまいますが、拘束場所から命からがら逃げ出したという経験もあるそうです。戦争末期には食料が尽き、栄養失調状態となっていたというオードリーでしたが、戦争が終わり、国連の機関から食糧援助を受けて飢えから救われたといいます。彼女はこのときの喜びを生涯忘れることなく、ユニセフ親善大使となって世界中の国を回り子供達を飢えから救う活動を精力的に行いました。point 449 | 1
まとめ
「ローマの休日」で優雅にほほ笑むアン王女の姿からは想像もつかない、壮絶な経験をしてきたオードリーヘップバーン。有名なアンネの日記の主人公とほぼ同年代ですから、一歩間違えれば強制収容所に送られていた可能性もあったのです。貧しさ、迫害、そしてコンプレックスにも打ち勝ってきた彼女は、華奢で折れてしまいそうな体とは裏腹に、強い信念を持つ女性だったのです。