あの笑顔からは考えづらいですが、佐々木健介さんは幼少期に父親からの虐待を受けて育ったことを告白していました。その苛酷な生い立ちを紹介したいと思います。
佐々木健介子供時代の虐待を打ち明ける
写真:fqmagazine.jp
幼少期には父親から虐待を受けて育ったとテレビ番組で打ち明けていました。佐々木健介の父親は福岡で金融業をしていたのですが、うまくいかなかったりすると当時子供であった佐々木健介にも、手加減なしで暴力を振るう人だったみたいです。そして近所にあるおじさんの家に度々逃げ込んでいたのですが、「おじさんの家には行くな」と父親から脅されたため、しばらくは行けなくなりました。またも虐待に耐えきれなくなった佐々木健介が2年ぶりにそのおじさんの家を訪ねた時には、もうその家はなくなっていたそうです。そんな幼少期もあり強くなることを誓った佐々木健介は、プロレスラーになることを決意します。
新弟子の死亡事故
写真:kyusyuotoko.blog.shinobi.jp
佐々木健介が新日本プロレスのコーチ時代に指導していた弟子が、死亡する事故が起きました。当時弟子として指導を受けていた方々も「佐々木さんのことを好きな人はいない」や「新弟子時代に理不尽なシゴキを受けていた」など、佐々木健介がとんでもない暴君であるかのような発言を残しています。さらにこの死亡事故はプロレス練習中のスパーリング中に「頭を打った」と言うことになっていますが、関係者の著書によると実際は「危険な角度で落とすスープレックスを何回も繰り返していた」と言う内容が書かれていて、個人名は伏せられていますが佐々木健介がやったと受け取れる文面があります。真相は定かではありません。
プロレスを引退
写真:kensuke-office.co.jp
2014年にはプロレスを引退して、プロレス業界からは完全に身を引く意向を固めました。理由としては自分の弟子である中嶋勝彦との試合で負けたことで「初めて試合で負けて嬉しいと感じた瞬間に佐々木健介と言うプロレスラーはもう終わった」と感じたそうです。そしてプロレス界とは一線を引いて、これからは活動するとしてこれからは色々なことをやりたいと語っています。最後には「プロレスとは生き様だと」言い残し、晴れやかに引退しました。
タレントとしての佐々木健介
写真:ja.wikipedia.org
プロレス引退後は健介オフィスと名付けられた会社を設立しました。このオフィスはプロレスの指導や事務所などが合わさった会社らしく、プロレス引退時にはプロレスとは一線を置くと発言していたので、てっきりコーチングもしないものだと思っていましたが、そうではなかったようです。それと同時にテレビにも出演回数が増え、一時期は主にバラエティ番組によく出ていました。
北斗晶との結婚とガン治療
写真:youtube.com/watch?v=78K435lR504
佐々木健介はプロレスラー時代に女子プロレスで活躍していた北斗晶と出会い結婚しています。プロレスラー同士の交際はご法度でしたが、佐々木健介は記者会見を開き、北斗晶は女子プロレスを引退して妻になりました。佐々木健介は2人の子供にも恵まれテレビではすっかり「愛妻家」のイメージが定着していて、その強い見た目からは想像ができないギャップもあり夫婦枠の仕事も増えていました。しかしある日妻である北斗晶の乳がんが発覚して、しばらくは闘病生活を送ることとなりました。しかし2017年現在ではかなり回復した様子で、その様子を北斗晶のブログで確認できます。
まとめ
幼少期に父親からの虐待にあい、そのことをきっかけに強くなるためプロレスラーになった佐々木健介。その後も殺人まがいのことをしているのではないかと言う噂がたったりもしていました。プロレス引退後は夫婦でタレント活動もこなして、順調そうに見えます。妻の乳がんが発覚と壮絶な生い立ちの佐々木健介ですが、今は妻である北斗晶さんの体調も回復して本当に良かったです。