2000年代に「カリスマ主婦モデル」として有名になった黒田知永子さんは、あまり経歴を知られていないものの、何もモデル経験のない主婦がモデルになったわけではなく、元々は人気JJモデルでした。そして現在は40代・50代ミセス世代にとって極めて強い影響力を持つカリスマモデルとして活躍し続けています。
実は元々はJJモデルで表紙に登場したこともあり
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黒田知永子さんは2000年代に入って、「カリスマ主婦モデル」という肩書きが先行し、大半の人には、モデル経験のない一般の主婦のかたが読者モデルからプロのモデルに転身し、主婦兼モデルとして活躍しているのだと思われてきました。しかし、実は彼女は1970年代半ばに創刊されていて1980年代は女子大生のバイブルといわれてきた雑誌「JJ」のトップモデルでした。活躍していた時期は1980年代前半で、のちに大女優になる賀来千香子さん等と同時期にあたります。しかし数年後に一度モデルをすっぱり引退し、結婚・出産も経験して1990年代半ばまで長く主婦生活をしていました。point 362 | 1
JJ発行元の光文社からのオファーでモデル復帰し、再びブレイク
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そんな中、JJを発行する光文社が1995年に30代向けファッション誌「VERY」することになり、当時30代半ばだった黒田さんにモデル復帰のオファーが舞い込みました。それがきっかけでVERYモデルとして第2期のモデル生活がスタートし、看板モデルとしてVERYが人気雑誌として世間に定着することに大きく貢献しました。続いて光文社が40代向け雑誌「STORY」を2002年に創刊すると黒田さんもそちらの雑誌に移動し、2000年代はSTORYの表紙レギュラーとして活躍しました。point 235 | 1
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また、この時期から”カリスマ主婦モデル”として大きな注目を集めるようになり、TVのバラエティ番組にもレギュラー出演するなどマルチに活躍し、国民的な知名度を誇るモデルとなりました。その中でも、2003年に中村獅童さん、佐藤江梨子と共にベストジーニスト賞を受賞した件は世間に大きなインパクトを与えました。
2010年代の活躍
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2008年からは、新規創刊された集英社の50代向け雑誌「eclat」の表紙レギュラーに就任し、表紙と誌面に毎月登場し、国内初の50代女性向けファッション誌が休刊することなく大成功する事にも大きく貢献しました。そうして今では、40代・50代世代から圧倒的な支持を得るカリスマモデルの座に君臨しています。また2017年には自身プロデュースのWEB雑誌「CHIKO PLUS」もスタートし、そちらも大きな注目を集めています。point 287 | 1
60代雑誌での活躍にも期待
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黒田知永子さんは、これまで各世代のミセスファッション誌の成功に大きく貢献してきました。そして彼女が60代に突入する2021年頃にはどこかの出版社が彼女をイメージキャラクターとして60代向けファッション誌を創刊するのではないかと言われています。なぜなら、圧倒的なカリスマ性がある彼女がいてくれれば、雑誌の成功は約束されたようなものであるからです。