去る 7日、午前6時51分、昭和の人気コメディアンとして活躍した俳優の小松政夫(こまつ・まさお、本名・松崎 雅臣=まつざき・まさおみ)さんが 肝細胞がんのため都内の病院で死去しました。78歳。福岡県出身。通夜は 10日に、葬儀・告別式は 11日に 家族らで執り行ったという。喪主は 妻・朋子(ともこ)さん。
雑誌の片隅に出ていた 植木等さんの「付き人募集」を見て応募⁉ 敏腕セールスマンで 高収入も…
「小松の親分さん」や「しらけ鳥」のネタや歌などで、人気を博した 小松さんは、昨年11月から闘病していたそうですが、入退院を繰り返していたという。俳優としてドラマなどに出演する一方、ラジオ番組などで軽妙なトークを披露していたりと、抗がん剤治療を受けながら仕事も続行していました。しかし、今年11月14日に 再入院後は 容体が回復せず、最期は 朋子さんら家族に看取られながら息を引き取ったそうです。point 198 | 1
1942年(昭和17年)生まれ。福岡の県立高校卒業後、61年に俳優を目指して上京。さまざまなアルバイトなども経験後、自動車のセールスマンとなり、敏腕セールスマンとしても 高収入を得ていたそうですが、植木等さんの「付き人募集」の記事が 雑誌の片隅に出ていたのを見て応募。64年から 付き人兼 運転手となりました。point 212 | 1
植木さんらの尽力もあり、徐々にテレビへ出演。昭和30年代から 40年代にかけ 人気番組だった 日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でセールスマン時代のエピソードをもとにした「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!」が うけて人気に…。
その後も映画評論家の淀川長治氏のものまねや 伊東四朗さんとの名コンビで人気となった、テレビ朝日「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」(76年10月~78年3月)では「しらけ鳥音頭」が大ヒット。TBS「笑って!笑って!!60分」(75年4月~81年3月)では「小松の親分さん」などのネタが 子どもを中心に話題となりました。point 350 | 1
テレビや映画、舞台などで 俳優としても、時代劇から現代劇まで 幅広く活躍。2011年6月からは 社団法人日本喜劇人協会の10代目会長を務めました。
博多の人間にとってはタモリさんとのコンビネーションが最高⁉ とても裏表のない人だった…
今回のこの報道にも多くのコメントがよせられているようですが…
《 元タクシー運転手です。初めて乗せた芸能人が小松さんで家族で焼肉屋から出てきた所を乗せて自宅まで乗せ、降りる際に頑張ってと小松さんから握手されたのを鮮明に覚えてます。乗せた時に気づいたけど声をかけて良いのか迷ってたけどテレビで観てたのと同じとても裏表のない人だったな…住宅街の狭い道で狭くて申し訳ないと言われ新人だったので余計に嬉く感じた。》
《 びっくりしました。ついこの間テレビでお見かけしたように思いましたので。とても好きな人でした。師匠の植木等さんとの話が好きでした。仏様のような植木さんがいて一流の俳優になることが出来ましたね。植木さんの家族葬の際、小松さんは、ご家族から葬儀に加わるように云われたそうです。それだけ信頼が厚く家族同様に思われていたんですね。これで二人とも本当の仏様になってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます 》
《 福岡市出身の芸能人、出身は博多と言う芸能人が多い中、本当の博多のど真ん中(現在の博多区上川端町)で産まれたのは小松さんでした。真の博多人である小松さんの博多弁が本当の博多弁です。小松さんは私の中学校の大先輩ですが最近まで博多の夏祭り祇園山笠の中洲流に毎年参加されているのをお見受けしています。多くの博多っ子が悲しんでいることと思います。伊東四郎さんとのコンビは全国区でしたが博多の人間にとってはタモリさんとのコンビネーションが最高でした 》point 283 | 1
《この夏NHKで放送したドラマ「すぐ死ぬんだから」あのドラマのご出演が最期だったのでしょうか?哀愁漂う素晴らしい演技でした。子供の時から大ファンでした。本当に残念です。沢山の楽しい番組をありがとうございました 》
等など、やはり昭和のお笑いをつくってきた 往年のコメディアンであっただけに、哀悼のコメントが相次いでよせられているようでした。