今や日本のお笑い界の重鎮ともいえる存在のビートたけし。1980年初めに沸き上がったお笑いブームで頭角をあらわし、ツービートの漫才から「俺たちひょうきん族」のテレビヒットで人気を格上げしていきました。
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現在は映画監督としても海外で高い評価を得ており、映画作品のひとつである「HANA-BI」ではヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、その実力の幅の広さも発揮しています。海外での映画監督としての活動は、本名である北野武名義で行っており、漫才師やお笑いのときにはビートたけし、映画や絵画などの際には北野武と使い分けがされています。
ビートたけしの人生は、著作も多く出版されており有名ですが、その中でも日本中が驚いた事故はやはり、1994年に起きたバイクでの転倒事故でしょう。point 309 | 1
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事故は東京都新宿区の坂道で発生しました。原付バイクに乗っていたビートたけしが走行中に自損事故を起こし重傷を負うというセンセーショナルな事故の速報が入ったのです。実はこのとき、たけし軍団との飲み会帰りでビートたけし自身は酒気帯びで運転中でした。さらにそのまま愛人宅に向かう予定であったことも明らかになっています。酒気帯び運転であったため、事故は書類送検されることとなり、起訴猶予処分を受けています。point 262 | 1
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実はこのときの体験については、ビートたけし自身が書籍を出版しています。タイトルもずばり、「顔面麻痺」というものです。入院中の覚えていることや、その後の騒動からリハビリ中の考えなど詳細に書かれています。
このときの事故を日本中が覚えているのは、やはりその事故のあとに行われた復帰の記者会見の印象が強いからでしょう。事故はカーブを曲がり切れず、ガードレールの鉄柱にぶつかるという壮絶なものでした。しかもビートたけし本人は4メートルもバイクから体を飛ばされ、路上で顔面を強打し大量出血しているとは報道されていました。ですが、記者会見で見せたビートたけしの顔は、事故前と比べてやはり恐ろしく変化したものでした。誰もがこのあとの復帰を難しく思ったことでしょう。point 394 | 1
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当時の心境を現在のビートたけしが振り返ると、完全にうつの状態であったと語っています。もともと映画などを撮影するのは、お笑いで一番になったという自覚が自分には薄く、自信がなかったからだとビートたけし自身は自分を分析しています。そのため当時は自殺願望が強く、不安定な精神状態であったと書籍などで告白しています。
顔面神経麻痺という大きな後遺症に悩まされることになったビートたけしですが、その後は絵画のほうにも関心を示し、アートの才能も開花させました。復帰後の映画出演作の「バトルロワイヤル」では、ビートたけし作の絵画がそのまま使用されるなどアーティストとしての活躍も目立っています。point 353 | 1
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現在、このバイクの事故による後遺症はほとんど感じられませんが、世界のキタノを創り上げる大きなきっかけとなったものでしょう。顔面神経麻痺という大きな病気と事故から復帰するのも、やはりビートたけしの生命力と運の強さを感じさせます。しかし事故直後は、銀行からの融資をすべて断られるなどの辛酸も相当舐めたと手記に記載されています。そのくらい、当時の復帰記者会見の様子は日本中にとって非常にショックだったのです。point 269 | 1
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精神状態の不安定さが招いた事故でしたが、最終的にはそれを糧にしてさらなる自分の飛躍につなげるあたりが、常人ではない精神力を感じさせます。事故直後は記憶喪失や、言語の障害などもあり非常に不安定な状態だったそうですが、それすら感じさせない現在の活躍ぶりです。今後もその毒舌やシニカルな笑い、それに映画作品や絵画作品でおおいに活躍してほしいのがビートたけしです。point 244 | 1