パンチョ伊東さんとは、本名は伊東一雄さんで、愛称でこのように呼ばれていたパ・リーグの元広報部長です。この方の名を多くのプロ野球ファンの方が知るようになったのはドラフト会議です。1965年に始まったドラフト会議で1991年まで司会者を務め、独特の甲高い声で指名された選手の名前を読み上げたのです。今でこそ電子化が進んで指名選手の名前はすぐに漢字表記で画面に出てきますが、昔はそうではなかったため、面白いエピソードがいくつか生まれたのです。
独特の表現で選手の名前を説明したパンチョ伊東さん
写真:Number Web – 文春オンライン
パンチョ伊東さんがドラフト会議の選手名を読み上げる際に多くのファンやマスコミ、そして会議参加中の関係者を笑いの渦に巻き込んだ例は多々あります。今もなお語り草になっているエピソードの1つが1972年のドラフト会議です。この年、大洋ホエールズは4位で大阪の福島商業の益山性旭投手を指名しました。読み方は「ますやませいきょく」なのですが、名前が珍しいため、パンチョ伊東さんがこの名前を読み上げた時点では多くの人が「せいきょく」という名前の漢字が分かりません。その時、彼は何と「せいきょくの性はセックスの性」と説明したのです。ちなみにこのセックスというのは性行為のことではなく、英語で言う性別の意味でご本人は説明に使ったのですが、それを多くの方が違う方に受け取ってしまい、ドラフト会場を笑いの渦に巻き込んでしまったというわけなのです。
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パンチョ伊東さんは大リーグ通としても知られていて、英語が堪能な彼らしい言い回しが逆に当時の日本人にうまく伝わらなかったというエピソードになっているのです。この件では後になって伊東さんが性別の性と言っておけばよかったと思い、益山選手の誤ったという話も残っています。また、日本ハムファイターズが帝京高校の芝草宇宙投手を指名した際には、宇宙の説明で「ひろしは宇宙、大宇宙、コスモ」と例えてアナウンスしました。
パ・リーグ広報部長だったパンチョ伊東さん
写真:Number Web – 文春オンライン
ドラフト会議でのこれらのエピソードについては、いずれもご本人は真剣そのものに行っており、今のようにコンピューター化が進んでいない時代にいかにして指名選手の漢字を分かりやすく伝えるかを考えてのことだったのです。従って多くの野球ファン、関係者に親しまれたことは言うまでもありません。また、1976年から1991年まではパ・リーグの広報部長を務めていました。有名な言葉として黒い霧事件でパ・リーグの観客動員がセ・リーグの半分以下になってしまった時期に、「我がリーグは3分の1リーグだ」と嘆いたともいわれています。
写真:Number Web – 文春オンライン
当時は「人気のセ、実力のパ」と言われていた時代で、人気面ではセ・リーグに遠く及ばないのがパ・リーグの実態だったのです。今では考えられないことですが、パ・リーグの暗黒時代に広報部長として尽力された姿は古い野球ファンならば多くの方が覚えています。晩年はフジテレビのプロ野球ニュースでメジャーリーグコーナーを担当するなど、メディアでも活躍されました。メジャーリーグの話題についても今日のようにBS放送が普及していない時期でしたので、パンチョ伊東さんが語るメジャーリーグの魅力に耳を傾けるファンも多かったのです。2002年に亡くなられましたが、野球界に多大な貢献をされた人物の一人です。
まとめ
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ドラフト会議の名刺会社として1991年までドラフト会議を仕切っていたのがパンチョ伊東さんです。電子化が進んだ今の時代ならば彼が読み上げたような独特の選手名の漢字の説明も生まれなかったでしょうから、まさに時代が生んだドラフト会議の名物司会者ということが出来ます。パ・リーグ広報部賞、メジャーリーグ通、晩年はジャーナリストなど、様々な角度から野球界に貢献した人物がこのパンチョ伊東さんだったと言えるでしょう。