単純計算すると3組に1組の夫婦が離婚している日本。そこに至るまでの理由は多種多様です。そもそも1組の男女が、どこでどうすれ違い、別れを選んだのでしょうか。「離婚の理由は、元妻のD・Vです。殴る、蹴る、髪をつかまれるなど、ありとあらゆるD・Vを受けましたね。元妻のD・Vは、まるで総合格闘技のようでした。今でもここに、元妻のひっかき傷が残って消えないんですよ」そう話す荒川敦さんは、D・Vの末、離婚したのです。
敦さんは、28歳で結婚し、33歳で離婚しました。しかし、5年間の結婚生活に終止符を打ったのです。5歳年下の元妻の桃子さんは、短大卒業後に入社した銀行の後輩でした。職場でも指折りの美人だった桃子さんに、敦さんのほうからアタックする形で交際が始まり、ほどなくして同棲。その後、桃子さんの妊娠が発覚して、結婚することになったそうです。
D・Vの始まり
かつての敦さんは、男女共に友達が多かったそうです。中学、高校、大学の同級生は男女関係なく仲がよくて、メールでやり取りをすることもありました。しかし一緒に住み始めるようになると、桃子さんはそのやり取りに激怒しました。
「お前は浮気をしてるから、いますぐ連絡先を消せ」と言う桃子さん。桃子さんの感覚では、女友達と連絡を取るのが、浮気になるのです。淳さんが「待って」と言っても「なんでオメーは私のいうことを聞かないんだ!浮気しているくせに連絡先を消さないなんておかしいだろ!さっさと消せ!」とスマホを投げつけました。さらには「浮気するやつは、LINEを使っちゃだめだ」と言うようにもなりました。淳さんがその浮気の定義はおかしいと反論しますが、「浮気しといて私の言うことがなんでできないの!反省してないのか!オメーが浮気をしたからだろ!」と逆にヒートアップして、淳さんの顔に手をあげました。桃子さんは体育会系で元柔道部だったため、淳さんが投げられることもあったそうです。
その後、敦さんのLINEのアプリは消され、FacebookなどのSNSをすべて禁止すると言い渡されました。少しでも反抗すると、手をあげられるようになり、敦さんは友人と連絡を取ることすらできず、徐々に孤立してしまいました。それまでは、お互い下の名前で呼んでいたが、桃子さんの怒りが激しくなると、「オメー」と呼ばれるようになり、会社と親族以外の人間関係をほとんど絶たれ、桃子さんの支配はますます強くなっていきました。
何もかも気に入らない
淳さんは「とにかく何をするにも突っかかってくるんです」と話す淳さん。歩く音が気に入らない、靴の並べ方がおかしい、食器の並べ方が変、しまいには、子どものおむつのテープの位置が1センチずれていただけで、平手が飛んでくるようになったそうです。仕事から帰ってきて、疲れてリビングの椅子に座っているだけで、桃子さんはすさまじい形相で、怒りをぶつけました。椅子に座ってるだけで「すぐに立って、子どもをお風呂に入れろ!」と怒られ、悪いけど、疲れてるから1分だけ座らせてくれと返せば、「そんな時間ねーよ!」とミドルキックが入るそうです。
食器かごの食器の並べ方1つとっても、いら立ちの対象になりました。「コップや、皿の並べ方にこだわりが強くて、それが少しでも狂うとブチ切れるんです」と語る淳さん。「なにこれ?前に教えたよね。あんたの食器の並べ方はおかしいから。なんで何回も言ってんのに覚えることができないの!」といきなり、足を蹴られるそうです。
汚い、臭い、ゴミ、くず、役立たず、など、ありとあらゆる人に対して言ってはいけない言葉が、桃子さんの口からは飛び出し、淳さんは完全に奴隷状態だったそうです。
潔癖症になる
子どもが生まれてから、桃子さんは、神経質になったそうです。次亜塩素酸とアルコールの消毒液を大量に買い込むようになり、疲れて帰宅すると、すぐに手を洗うことを強要され、1分でも遅れようものなら、淳さんはお腹を殴られました。
「子どもが生まれてから異様に、潔癖になりましたね。」と淳さんは話します。淳さんは耐えかねて、玄関に逃げようとすると、腕をつかんで閉じ込めようとしようとしました。掴まれたところはギリギリと皮膚が裂けました。淳さんは腕のひっかき傷がすごすぎて、夏場なのに長袖で隠して出勤していたこともありました。
敦さんは桃子さんのD・Vがひどくなるたびに、恐怖感から、家を出ていかざるをえなくなりました。敦さんが部屋の外に逃げようとすると、桃子さんは追いかけて、敦さんの腕をつかみ、爪を食い込ませ、必死に妨害しました。メリメリと皮膚が裂けて、腕は常にミミズ腫れになり真っ赤になったそうです。
変わらない妻
桃子さんのD・Vはエスカレートするばかりでした。友達に相談した淳さんはある日、桃子さんに抵抗し「これ以上やったら僕も手をあげるからやめてくれ」と試しに訴えてみてもダメで、軽く蹴ってみれば、桃子さんはその後病院に行き、診断書を淳さんに突きつけ「これでお互い様だから手をあげても文句言うな」と言ったそうです。また、左利きの淳さんに右利きを強要され続けたり、ご飯と味噌汁を逆に置いただけで平手打ちが飛んできました。
逃げ出した淳さんが着替えのために家に帰れば、鍵が勝手に変えられていて入れなかったため鍵屋を読んで入ろうとした際には、警察に通報され不審者扱いされたと言います。しかし、桃子さんのD・Vが酷かった時に耐えられず警察に通報した時は民事不介入で全く取り合ってもらえなかったそうです。
離婚調停さえも
ある日、桃子さんに平手打ちをされた淳さん。耳がキーンとなり数日間耳が聞こえなくなったときがありました。その後、淳さんは離婚するために動き始めました。
「自分と離婚したら、子供が被害にあうかもしれない」そう思った淳さん。何よりもそれが心配だった淳さんは子供の親権は取ろうと調停員に対して訴えました。しかし、70代くらいの男女の調停員は、母親に親権が渡るのが当然のような態度で「離婚して月1回会えばいいじゃないですか。それの何が問題なんですか」と言ったそうです。子どもたちが被害にあうかもしれないと淳さんが涙ながらに訴えても、まったく聞き入れてくれず、ましてや、淳さんがD・Vを受けたなんて言っても「お互い様」と言って、まったく取りあってもらえませんでした。結局、離婚は成立しましたが、親権は桃子さんになってしまい、月1回の面会という条件に応じるしかなかったのです。
D・Vの爪痕
淳さんは自ら命を絶つことも考えたそうです。しかし、子供がいたから何とか踏みとどまってこれたものが、今はそれがなく何のために生きているのか分からないそうです。そして、5年に渡りD・Vを受けてきた淳さんは、精神科で双極性障害と診断され、会社を休職しています。桃子さんのD・Vと子どもへの不安が影響しているのは明らかです。
敦さんは、D・Vの診断書を取っていなかったため、自らの言い分を立証することができませんでしたが、元裁判官の男性は、敦さんの事例について、「男性が加害者、女性が被害者、子どもは母親が育てるほうがいいという先入観を裁判所が持っている以上、男性も被害を受けたら診断書を取ったり、育児休業を取得したりして、証拠で覆す必要がある」と話しています。
夫婦だからと言って人権を侵害する言葉を浴びせたり、軽々しく手をあげたりする行為は決してしてはならない非人道的な行為です。淳さんの心が1日でも早く回復してくれたらと思います。とてもつらい時間を過ごした分も幸せになって欲しいですね。