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オードリーヘップバーンは1929年生まれのアメリカの大女優で「ティファニーで朝食を」や「ローマの休日」など多数の代表作を持ち、その可憐な容姿から妖精と称され、1993年に亡くなったあともなお、映画界ならびにファッション界のアイコンとして愛され続けています。
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そんな彼女の人生はまさに波乱万丈で、幼い時代の第二次世界大戦中、ナチス占領下のオランダに滞在中、その弾頭から逃げながら、極貧生活の中でレジスタンスに資金提供をしたり荷物やメッセージを送る援助をしていたことも。また、食糧が底につくと、チューリップの球根から作った粉で飢えをしのぐなど、かなり厳しい少女時代を過ごしていました。アンネの日記の映画化の主人公としての話が持ち上がった時、あまりに身近に感じられてつらいという理由で出演を断ってしまったというエピソードからも、その過酷さが伝わってきます。
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そんな彼女は慈善活動でも知られており、後半生のほとんどは国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げました。1992年の終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されるほど。
そんなオードリーヘプバーンは、その人生を通して多くの名言を残しています。
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まず、努力することの大切さを伝えるものとして「不可能なことなどないわ。Impossible(不可能)という単語の中に、I’m possible(私にはできる)と書いてあるのだから」と。努力家でポジティブな彼女の人柄がよく伝わってくる言葉です。また「私にとって最高の勝利は、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと」という言葉から伝わってくるのは、ヨーロッパを転々とする幼き頃、寄宿学校で過ごす寂しさからバレリーナを目指していたのに太ってしまい、自分に自信が無くなってしまったときのことを、のちにバネにして跳ね返した、とても前向きな言葉です。
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また「一番好きなことは笑うこと。人として最も大事なことじゃないかしら」という言葉から、周りのスタッフをおどけて笑わせることが大好きだったオードリーの人柄が伝わってきます。ちなみにオードリーはタイプの男性に関しても「笑わせてくれる人」と答えているそうです。戦時中の恐怖を体験したオードリーが「すべてを奪い取られ、人生を引き裂かれるのを私は恐ろしいほど見せつけられました。だから愛をしっかり守るのです」と語ったあとに続けた「愛情に怯えたりはしません。でも、愛情が失われることには怯えています」という言葉からも、毅然としつつも、重みを感じさせられます。
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さらに、1993年に米映画俳優組合の特別功労賞を受賞し、病で表彰式に出席できなかったオードリーの代わりに、同じ女優であるジュリア・ロバーツが代理でメッセージを読み上げ感動を呼んだものが 「例えばこの暴力的な世界に一時の休息をもたらせる、そんなビジネスの一員であることを誇りに思っています」という言葉。オードリーが女優という仕事に対し、どれだけ誇りと愛情を持っていたのかが良くわかります。また、前述したとおり、慈善活動に熱心だったオードリーはその活動を通しても数多くの名言を残しています。
「人間のわがままが空を汚し、動物を絶滅に追い込みました。次は子どもたちなのでしょうか?」問いかけるように発したこの言葉から、彼女が愛した子供たちの姿が浮かんでくるようです。
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そして最後に紹介したいのが「エレガンスは、決して色褪せることのない唯一の美です」という言葉。見かけだけでなく、内側から発せられるオードリーの気品あふれる姿は、どれだけ時間がたっても決して色あせることなく、どんな時代でも輝き続け、世界中の女性たちにインスピレーションを与え続けています。