モデル出身の芸能人はたくさんいますが、女性のモデルの中で早い段階で芸能人になった人も少なくありません。その一人が観月ありささんで、中学生ぐらいの時から伝説の少女と言われたほどの人気を誇っていたことで有名になります。観月ありささんは1976年12月生まれで身長170センチとまさしくモデル体型でしたので、モデルを目指したのも納得ができるところです。
様々なドラマに出ており、女優としても活躍しましたが、39歳の時に会社社長と結婚をし妊娠しているのではないかとうわさされています。
子役からスタートしているのが特徴
写真:モデルプレス
写真:エキサイト
あまり知られていませんが、観月ありささんは4歳のころからテレビコマーシャルや雑誌などで子役として出演していました。
田原俊彦さんが主役で出ていた「教師ビンビン物語2」の中でも生徒約として出演していたことはごく一部の人しか知られていないようです。
写真:Twitter
それもそのはず、当時はそれほど知名度が高かったわけではなく、子役の一人として出演しただけですので、その後有名モデルとなりそして女優となること、さらにその後に会社社長と結婚し、妊娠をしたのではないかと疑われることは予想しにくいでしょう。
1991年の中学2年生には東宝映画に出演し、しかも初主演を演じきったことで知名度が高まりました。
写真:TSUTAYA
その翌年にも快進撃を続け、24時間テレビにも出演しメーンパーソナリティーを務めていたことは多くの人の記憶に残るところとなります。
写真:駿河屋
その後たびたび映画やドラマなどに出演し、お茶の間を楽しませてくれた一人ですが、なかでも有名なテレビ番組は「ナースのお仕事」になります。
写真:ローチケHMV
ドジでありながら明るい人物を観月ありささんが演じており、続編が何度も出るほどの人気ぶりでした。老若男女様々な人が番組を見ており、観月ありささんといえばナースのイメージを持っている人は少なくありません。
女優としての活動とともに、歌手活動もしていたことは有名で、歌手デビューしたのは「伝説の少女」で
写真:駿河屋
この曲はオリコンシングルチャートで第5位を取得するほどの人気ぶりでした。
不妊治療しているといわれている
写真:BARKS
オリコンのシングルチャートの第5位を取得した時、観月ありささんは当時まだ中学二年生だったことを考えると、快挙といえるかもしれません。
その後、小室哲哉さんの目に留まり、作詞作曲をしてもらった曲を歌うことができました。
ただ、その後に続く小室ファミリーとは少し異なり、初期のころの小室ファミリーでしたのでその事実を知らない人は少なくないでしょう。
30代後半になってもなかなか結婚をしないことから、一生独身ではないかといわれていましたが、2015年には会社社長と結婚することになります。
会社社長の方は、以前上原さくらさんと結婚していましたが、離婚してしまったため観月ありささんが二人目の配偶者となります。
写真:languageconnections.com
年齢的にもなかなか子供ができにくい歳ですので、不妊治療をしているとのうわさがありますが、この点については本人もそのように述べているわけではありませんので明確なことは言えません。
また、結婚をした時にすでにおなかの中に赤ちゃんがいたのではないかといったうわさもありますが、そもそも不妊治療していることと矛盾してしまいますので、どちらかがウソになるでしょう。会社社長の青山さんとしては、結婚した以上は子供が欲しいと考えるはずです。なぜなら、観月ありささんは、一切家事をしないことで有名ですので、そもそも子供をつくることをしなければ、何ら結婚した意味がないことがわかります。
まとめ
写真:芸能Scandal
子役から有名になった観月ありささんは、レコードデビューを果たすと同時に、女優としても活躍し「ナースのお仕事」一躍有名になった一人です。ちょうどドジで明るい役柄が観月ありささんにぴったりだったこともこのドラマが有名になった理由の一つと言えるでしょう。
2015年に会社社長の青山さんと結婚しますが、その後子供はまだ生まれていませんので、妊娠していないことがわかります。また、妊娠したので結婚したのではないかとのうわさもありますが、そもそも観月ありささんが結婚した年齢では妊娠しにくいため、そのようなことは考えにくいでしょう。