大阪府警北堺署は22日までに、乗用車で急ブレーキを繰り返すあおり運転をしたとして、暴行容疑で同府松原市の男性僧侶(61)を書類送検しました。「パッシングされ、注意してやろうと思ってブレーキを踏んだ」と容疑を認めています。
書類送検容疑は1月20日午後1時半ごろ、堺市北区の府道で乗用車を運転中、後方を走行していた大阪市の男性(36)の軽乗用車に約450メートルにわたって急ブレーキを繰り返し、信号待ちで停止した男性の胸ぐらをつかんだ疑いです。
北堺署によると、僧侶の車が飲食店の駐車場から急に飛び出したため、男性がパッシングをしたといいます。
僧侶の車が飲食店の駐車場から急に飛び出してしまい、それを注意するために被害にあった男性がパッシングをしたところ、激昂して信号待ちで停止した男性の胸ぐらをつかんだのだそうです。僧侶は2分間で約10回も急ブレーキを繰り返したということが分かりました。僧侶であるにも関わらず、あまりにも気が小さくしょうもない理由で怒っているなを思わざるを得ません。
あおり運転をする人の心理として、基本的に自分本位な考え方をしている人が多く、今回の僧侶ももれなくそれに該当することでしょう。
仏教の心理とは、煩悩を無くして成仏することであり、いかにして苦しくなく生きるかを説いた宗教であります。
煩悩とは人間の欲求を意味しますが、仏教ではこの煩悩があるからこそ人は苦しむのであると説いているのです。
・生きること
・老いること
・病気になること
・死ぬこと
仏教ではこの四つが苦しいとされており、さらに以下の四つも苦であるとされております。
・愛する人や物と別れること
・会いたくない人や物と会わなければならないこと
・求めるものが得られないこと
・これら全ては肉体があるから起こる苦しみであること
上記の四つと、下記の四つを合わせて四苦八苦といい、現代ではあらゆる苦労を意味する四字熟語として知られております。
これらの苦しみはそもそも煩悩があるから感じるものであり、この煩悩を無くすことができれば全ての苦から解放されるのではないかと考えたのが仏教の始まりです。
会いたい人がいるというのは愛するという感情があるからであり、病気が苦しいというのや死が怖いとういうのは、長生きしたという欲求(煩悩)がそこにあるのです。
こうした煩悩が全くなくなった人のことを仏といい、仏になることを成仏するというのですが、現代では限りなく0に近い状態をキープしている人を出家した僧侶と呼ぶのです。
つまり、怒りや悲しみといって感情は常に穏やかであり、無常という仏教の心理を体現した人が僧侶となっているのであって、あおり運転をするという行為は仏教の道からは明らかに逸脱していることでしょう。
パッシングに怒る=煩悩があるということになりますし、出家した仏教徒である僧侶が行うことではありませんから、もしかすれば僧侶ではなく僧侶の仮面を被った一般人だったかもしれません。