麻布商店街に停車した黒いミニバンから、赤いマフラーを首にかけた姿の元プロレスラーのアントニオ猪木(76)が現れたのは、6月27日午後6時のことでした。
任期満了に伴う7月の参議院選挙への不出馬を表明した猪木が姿を見せたのは、前日26日の国会閉会時に「元気を売る人間が、元気を売れなくなった……」と話し、政界引退を宣言した直後のことでした。
「この日行われたのは、猪木さんの政界引退の打ち上げ会です。関係者が総勢20名ほど集まったそうです」(猪木の知人)
猪木はこの日、黒いミニバンの助手席に座っていた女性に手を差し伸べてもらいながら出てきました。
赤いマフラーを首にかけた巨漢は、背中を丸めて杖をつき、おぼつかない足取りで、麻布十番にある老舗焼き肉店に向かったといいます。
そして午後8時半ごろでした。
焼き肉店の入り口では、なにやら女性と男性数名が打ち合わせを始めたといいます。そして、店員がクローゼットから大きな花束を取り出し、猪木に花束を差し上げたといいます。
「会の間に猪木さんは2回も花束をもらったそうです。ただ、午後9時に会が終わるまで、猪木さんは終始浮かない様子だったと聞いています」(同前)
猪木の初当選は’89年でした。
猪木は、自身が旗揚げしたスポーツ平和党や、日本維新の会といった複数の政党を渡り歩いてこられ、任期中には湾岸危機での人質解放や30回以上の北朝鮮訪問など、独自外交を続けてきたのですが、なぜ今引退することになったのでしょうか…..
全国紙政治部記者は以下のように証言します。
「持病の腰痛と、糖尿病の悪化が原因と言われています。最近は車いす姿が増え、健康不安が取りざたされていました。ライフワークの北朝鮮問題については、議員を辞めてからも取り組んでいくそうです」
さらに、「政治家・アントニオ猪木」について政治アナリストの伊藤惇夫氏はこのように話します。
「猪木さんは、スポーツ選手が政治家に転身する先駆けでした。彼の当選以降、各政党がスポーツ選手を客寄せパンダとして擁立し始めましたからね。ただ、後続のタレント政治家と彼が違うのは、大政党の後ろ盾がないところです。良くも悪くも、このような政治家はもう現れないでしょう」
奇しくも、猪木が「最後の登院」を行った6月26日は、43年前に猪木がモハメド・アリと戦った「世紀の一戦」と同日だったといいます。
政界においても猪木は「ストロングスタイル」で「異種格闘技戦」に挑戦し続けたのでした。
スポーツ選手から政界に進出したアントニオ猪木。たくさんの業績を残してきた猪木の引退に、ネット上からは以下のようなコメントが寄せられています。
「猪木、坂口など身長も体重もあると、衰えがくると急に老けて見えてしまう。年齢を考えたら普通なんだが。」
「プロレスファンとしては見たくない姿。賛否はあれど芸能人やスポーツ選手の政治家の中でも、自分の知名度を生かして自ら行動し自ら引退した。最近はプロレスに対しても幕を引く態度を見せている。静かにしておいて欲しい。」
「プロレスに興味を持ったのが1968年5月頃、ちょうど日本プロレスの第5回ワールドリーグの優勝戦の頃から、だね。その頃から馬場より猪木が好きだったね。ナンバーワンよりナンバーツーが好きだった(笑)。今も変わらない。そのスタンスで猪木を応援してきたね。政治家としても、そういう意味じゃ、ナンバーワンにはなれなかったけど、それなりの存在感は示したと思います。」