伝説のコント番組「夢で逢えたら」で大ブレイクしたウッチャンナンチャンは、同番組で共演したダウンタウンと共に「東のウンナン・西のダウンタウン」と称され、1990年代以降のお笑い界を牽引し続けています。
現在は個人での活動がメインになっているウンナンですが、共に司会として人気番組を持っていることからデビューから順調な芸能活動を送っていると感じられる方も多いと思います。
しかし、ウンナンは自分たちの冠番組で死亡事故が起きたことによって番組の打ち切りも経験し、引退すら考えていた過去があるのです。
今回はそんな「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」で起きた事故の詳細を紹介します。
写真:matome.naver.jp
◼︎「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」とは?
写真:asajo.jp
1990年に「とんねるずのみなさんのおかげです」が半年間限定で休止されるのを受け、木曜21時の枠を半年間守ったのがウンナンでした。
ウンナンは映画やドラマなどのパロディコントを中心にした「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」という番組を立ち上げました。
そして、番組が人気となったことで「みなさんのおかげです」の復活後には、放送枠を土曜20時に移して「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」をスタートさせたのです。
この番組も映画などのパロディコントが中心となっており、番組放送当時に放送されていた人気ドラマから往年の人気ドラマまで、映画やドラマ好きなウンナンの二人が役になりきって行うコントはパロディの質も高く人気となりました。
また、映画やドラマ以外にもCHAGE and ASKAや加山雄三などの音楽アーティストのパロディコントや、街中に隠れた南原清隆を探す「ナンチャンを探せ」など名物コーナーが数多くあり、この番組からは満腹太や九州男児、加納さん、マモーとミモーなど数多くの人気キャラクターも生まれました。
そして、その人気コーナーの中に出演者の死亡事故を引き起こしてしまった「やるやらクエスト」があったのです。
出演者が大きなセット上で体を張ってゲームを行うこのコーナーは人気ゲームのパロディでもあって、幅広い世代の人から人気でした。
しかし、1993年6月24日に出演者が巻き込まれた死亡事故が起きてしまったのです。
そして、この事故をきっかけに番組は6月26日放送分を最後に打ち切りとなったのです。
写真:cinematoday.jp
◼︎出演者の死亡事故の詳細と事故後に芸能界に与えた影響
写真:scienceplus2ch.com
1993年6月24日の未明に行われていた「やるやらクエストⅡ」の収録は、3mほどの高さの場所に釣り上げられたゴンドラのような狭いセットの上で行われていました。
そのセットの後ろ側には薄いベニヤ板が打ち付けられており、出演者がそのベニヤ板に寄りかかる形となったときに体重を支えきれなくなったベニヤ板が外れて、当時日本でも人気だった香港のロックバンド「BEYOND」のメンバーである黄家駒と内村光良が落下する事故が起きたのです。
約3mの高さがありながら安全対策を何ら講じていなかったため、セットの下には緩衝材が設置されておらず、頭から落下した黄家駒は頭を強く打ち付けて重体となり緊急搬送されることになったのです。
内村光良は落下したものの軽傷で済みましたが、黄家駒は事故から6日後に亡くなってしまいました。
そして、人の生死に関わる重大な事故を引き起こしてしまった責任を取る形で7月1日には正式に番組打ち切りが決定したのです。
また、ウンナンの二人は自分たちに過失があった訳ではないにも関わらず謝罪会見などを行いましたが、事故後にメディアから大バッシングを受けました。
また、この事故をきっかけにウンナンの二人は引退すら考えましたが、遺族からの要望もあり引退は避けられました。
そして、この出演者の死亡事故以来、各テレビ局ともに収録時の安全管理をさらに厳しく行うようになり、これ以降は落下の危険性があるような高所で体を張ったゲームなどを行う際にはハーネスの着用やセットの下にスポンジなどの衝撃吸収材を配置するなど安全対策を徹底するようになりました。
写真:yusuke.holy.jp
◼︎まとめ
不幸なことに「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」ではゲスト出演者の死亡事故が起きてしまいました。
そして、同じく落下の被害者でもある内村光良はもちろん南原清隆も番組スタッフが安全管理を徹底してさえいれば番組を打ち切られることもなかったでしょうし、バッシングを受けることもなかったはずです。
それに黄家駒も「BEYOND」のメンバーとして今も活躍していたことだろうと思います。
ただ、この事故をきっかけとして日本の芸能界、特にテレビ局の番組制作に対する危機管理が徹底されることになったことだけは唯一の救いだと思います。