「今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」
写真:pinterest.co.kr
9日、安室奈美恵は自身のホームページで、前日に訃報が報道された沖縄県の翁長雄志知事へのお悔やみを発表しました。
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「あの時」とは、5月に県庁の一室で、厳戒態勢の中で行われた県民栄誉賞の授賞式です。
写真:YouTube
膵臓がんの手術を4月に受けていた翁長知事は、授賞式の8日前に病院から退院し、この授賞式の日が復帰後の初めての公務でした。
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授賞式を取材した地元紙の記者によると、「知事は終止笑顔で、本当に喜んでいるんだなと感じましたね」と伝えました。
翁長知事は授賞式で全国に広がったアムラー現象を例に「沖縄出身の歌手やタレントの草分け的存在」と話し、「娘たちがテレビの中の安室さんと一緒に歌っていたのを覚えています」と話していたそうです。
安室奈美恵が2000年に九州・沖縄サミットでの「NEVER END」の披露は「日本を代表するアーティストとして安室さんが各国首脳の前で堂々と歌う姿は、沖縄県民として大変誇らしく、今でも鮮明に記憶しています」と語っていました。
写真:朝日新聞デジタル
引退については「これまで、音楽活動に全力を傾けてきた分、一度ゆっくりと立ち止まり、今までやりたくても出来なかったことにチャレンジするなど充実した人生へ歩みをすすめていただきたい」との言葉を贈りました。
「華々しい活躍は、ひとえにご本人のたゆまぬ努力があることは多くの県民が知るところです」
県知事としてだけではなく、沖縄県民として、感謝し労をねぎらい励ます知事の「優しい言葉」に、安室奈美恵はメイクを直さなければならないほど号泣していたそうです。
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県民栄誉賞の授賞式は通常、県庁1階のロビーで行われます。県民や県職員たちの花道を歩き、賑やかに受賞を祝う形だが、安室奈美恵の場合は日程も公開されず、報道陣も当日に情報を知ったそうです。取材は各社1人との制限があり、県の職員でも限られた人しか事前に知らなかったそうです。このような厳戒態勢に関して翁長知事は、県民だけではなく県外や海外からも人が集まり、混乱する恐れがあるために「安全を第一に考慮しての措置」、「一緒にお祝いする機会を設けられず大変申し訳ありませんでした」と発表していました。
写真:people.com.cn
安室さんと一緒に写っている写真の中に知事の姿に「痩せすぎじゃないか」と体調を心配する声が広がり、それから77日後には訃報がありました。
ホームページによる、安室奈美恵のコメント全文は下記の通りです。
翁長知事の突然の訃報に大変驚いております。
ご病気の事はニュースで拝見しており、県民栄誉賞の授賞式でお会いした際には、お痩せになられた印象がありました。
ADVERTISEMENT 今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。
沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております。
ADVERTISEMENT 心から、ご冥福をお祈り致します。
安室奈美恵