松坂大輔投手は、横浜高校の三年生の時に、甲子園のヒーローとして一世を風靡します。単に、春の選抜と夏の選手権を連覇しただけではなく、準々決勝で延長17回を一人で投げ切り、決勝戦ではノーヒットノーランを達成するというど派手な活躍ぶりで、今なお多くの人から甲子園最強のエースと称されています。この様な大活躍によりその年のドラフト会議では最大の目玉となり、複数球団の競合の末に交渉権を獲得した西武ライオンズに鳴り物入りで入団します。
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松坂大輔投手・プロ入り後は?
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プロ入り後も、開幕戦で最速155km/hで当時のパ・リーグ最高のバッターの一人片岡篤史選手を三振に取るなど旋風を巻き起こし、高卒1年目ルーキーでありながら最多勝に輝きます。そして、その年のシーズンオフに行われたシドニーオリンピック予選では台湾戦に登板し、完投勝利を飾り日本のオリンピック出場に大きく貢献します。
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これ以降、松坂大輔投手は所属球団である西武ライオンズのエースとしてだけではなく、オリンピックやWBCなどの国際大会では日本のエースとしても活躍します。ちなみに、日本が見事優勝を果たした第1回と第2回のWBCでは6戦6勝と完璧な船籍で、2大会連続でMVPを受賞しています。
「1億ドルの男」
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この様に誰もが認める日本のエースとなった松坂大輔投手が次に目標としたのが、野球の最高峰MLBへの挑戦です。2006年のシーズンオフにポスティングシステムという制度を利用して、ボストンレッドソックスに移籍します。なお、ボストンレッドソックスが松坂大輔投手を獲得するために支払った金額は5111万1111ドル11セントで、これに6年5200万ドルのサラリー総額を合計し1億ドルの男と呼ばれることになります。point 272 | 1
MLBでも注目を集めた松坂大輔投手ですが…?
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この様にMLBでも注目を集めた松坂大輔投手ですが、8年で56勝43敗と期待通りとは言えない成績で終了することになります。何よりも痛かったのが、3年目シーズンから故障が相次いで起こったことで、第2回のWBCに強行出場したことが関係しているとも言われています。
また、日本とは違う滑るボールに合わなかったことや、中4日で投げなくてはならないために1試合100球という球数制限があること、ブルペンでの投げ込みも制限されること等、MLBのスタイル自体に対応できなかったことも原因と考えられています。
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ただし、松坂大輔投手が挑戦したことにより、MLBとNPBの違いが一層鮮明になったことは間違いありません。これ以降にチャレンジした日本の投手の多くが活躍しているのは、松坂大輔投手がラッセル車の様な役割を果たしたことが寄与していると考えられます。