秋元才加のプロフィール、デビューのきっかけや現在、彼女のエピソードやエピソードから見られる性格、そして噂となっている高安との関係や、彼女の生い立ちに関わる父親との関係などを紹介しています。力士 高安とは、いつ知り合ったのか、彼女の今を作った生い立ちとは何なのか。
秋元才加(あきもと さやか)【プロフィール】
本名:秋元才加(あきもと さやか)
生年月日:1988年7月26日
出身地:千葉県松戸市(生まれはフィリピン)
血液型:B型
2006年、第二期AKB48 追加オーディションに合格し、AKB48のメンバーに。その後、2009年の選抜総選挙で12位になりメディア選抜入りを果たす。
秋元才加の【来歴】
【デビューのきっかけ】
2006年の第二期AKB48追加メンバーオーディションに合格したのが、デビューのきっかけ。
【これまでの来歴・出演情報】
2009年のAKB48総選挙で12位を獲得し、メディア選抜入り。
2011年にはAKB48のメンバーである橋田彩佳、宮澤佐江、増田有華との4人で新ユニットDiVAを結成。
2013年にAKB48を卒業、その後、女優として活躍。
2014年にフィリピン観光親善大使に就任。
女優として「奴隷区 僕と23人の奴隷」「マンゴーと赤い車椅子」では主役に抜擢
【事故・事件】
2010年、広井王子と同じマンションに入っていった事を目撃されている。恋愛関係は無いと否定していた。
【2017年10月現在の活動】
ラジオではTokyoFM「秋元才加のWeekyJaoan!!」やドラマテレビ朝日金曜ナイトドラマ「奪い愛、冬」の出演もしており、またミュージカル「にんじん」にも出演していた。
秋元才加の【性格・エピソード】
アイドルらしからぬ伝説を持つ彼女、幼少の頃はとても貧乏だったようで、オーディションにもジャージで行ったそうです。また秋元康さんに、なぜジャージなのかと問われ「受かる時は、何を着ていても受かると思うから」と答えたという。
また家計を支えるために、高校時代はレストランと焼肉屋のバイトを掛け持ちしながら、授業料を稼ぎ、そして学年2位の成績を修める程の努力家でもあります。
また体力もあるようで、高校時代はバスケ部と陸上部を掛け持ちし、50キロほどのバーベルを持ち上げるという逸話も持っている。そんな彼女の高校時代のアダ名は赤木(スラムダンクより)だったようです。
責任感や正義感も強い人のようで、ドッキリでメンバーの大堀めぐみの携帯電話がとても暑い鍋に落ちた時も、ためらわずに手を突っ込んだり、腎臓結石を患い、仕事に穴をあけることを嫌がり痛みに耐えて仕事をするなど、エピソードに事欠かないようです。
【噂話その1】秋元才加は力士 高安と結婚?
ファンの間では、昔から、力士、高安とは、非常に話題になっていた。これは母親同士が、お互いフィリピン人で仲が良く、小学生の頃から、交流がある幼馴染という関係でもり、本場所には応援を兼ねて観戦に行っている姿を見かけることもあったようです。ただ本人は否定も肯定もしていないようで、一部のファンの間では、2人には是非結婚してほしいという気持ちがあるようです。ただ周りがどんなに、2人の中の進展を願っていても「私の好きな人は、私が決める」という発言もあったようで、これはなかなか、といった感じのようです。もっとも2人とも、お付き合いしている方はいないようなので、もし二人が恋仲になるようなら、それはとても良いニュースとして角界の盛り上がりにもなりますから、やはり期待してしまいますね。
【噂話その2】秋元才加は父親と不仲?
もともと父親が働かず、母親が働いて家計を支えていましたが、女性が、しかも外国の方が働くことに対して、まだまだ理解が多くなかった時代ですから、そのご苦労は偲ばれます。そもそも父親が働かない理由は、子どもの頃学校のガラスが割られた時間の犯人にされたことに対し、世間への不信感から、会社を「信用ができない」といって、すぐに辞めてしまっていたそうです。
ですから、高校の頃は自分のバイトを二つ掛け持ちをして、家計を支えていたそうです。
そんな厳しい経験があっても、前を見て進んだ彼女だからこそ、今の彼女があるわけで、彼女自身もそのように語っています。
ただ彼女にとって尊敬できる父親の部分がみえているようで、家族としての情が発言の合間に垣間見えています。
まとめ
父親が働かず貧乏な家庭でありながら、いじけず、たくましく育ち、芸能界入りし、着実に女優として認められている、秋元才加ですが、その豪胆な性格から正義感が強く多くのエピソードを持っています。フィリピン人の母親同士が仲の良い、幼馴染の力士 高安とは、恋仲に発展しているのかは微妙ですが、母親を含み、周囲はとても期待しているようです。