1985年に発生した日航ジャンボ墜落事故。当時は連日テレビ各局で事故の状況が報じられ、520名の犠牲者には著名人も含まれていました。2017年、33回目の夏を迎え、現在でも日本国内の飛行機事故で最悪の事故である日航ジャンボ機墜落事故を振り返ります。
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日本航空機史上最悪の事故
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1985年8月12日、18時00分に東京羽田空港を飛び立ち、大阪伊丹空港に向かっていた日本航空123便は18時56分に群馬県多野郡上野村高天原の尾根に墜落しました。御巣鷹の尾根という呼び方の方が耳慣れた方も多いかもしれません。
夕方の出張帰りの会社員やお盆の帰省とで利用客が多かったため、ほぼ満席で乗客は509名。事故によって乗員乗客524名のうち、520名が死亡しました。
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飛行機事故についての情報は19時26分にNHKの19時のニュースにて第一報がテレビで報道されたのを皮切りに、民法各局でも関連ニュースが報道され、翌日には現場からの映像を含む報道特番がテレビから流れ続けるほどに国内に衝撃を与えました。発表された乗客名簿に坂本九の名前が記載されていたことで、出演を予定していた番組で無事を祈願するテロップが流れるなど、お茶の間の雰囲気を変えるほどの影響がありました。
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事故翌日にテレビの画面に映し出された現場映像は衝撃的で、乗っていた全員の命が絶望的かとも思われましたが、奇跡的に生存し救出された4人の方のニュースも映像と共に大きく報道されました。
本来は乗る予定ではなかった?
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飛行機事故について情報をたどってみると、本来は坂本九はこの飛行機にのるはずがなかったということがわかってきました。それはどういうことか?実は、坂本九は国内での飛行機移動には全日空を利用すると決めていた為、事故のあった日本航空に乗ることはないはずでした。しかし、この日に限っては仕事相手が用意した便が日本航空だったのです。のちに全日空への変更を試みますが、お盆の時期という事で全日空に席を確保できず事故機に乗る事になってしまいました。このため、坂本九の家族も乗客名簿が発表されるまでは事故にあっているはずがないと信じていたということです。
事故から長い時が過ぎても
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事故から30年を過ぎ、当時のことを知らない世代の方も増え、飛行機事故についての情報もあまり詳しく知らないという方も多いかもしれませんね。事故犠牲者の遺族の方も年数分の歳を重ね、夏の御巣鷹慰霊登山に参加できる方も減ったとのニュースも報道されていました。今年の夏も御巣鷹登山に関連して坂本九の「上を向いて歩こう」を流すテレビ局やラジオ局がありました。
事故から32年目となる2017年は仏事では33回忌のお弔い上げという節目の年にあたります。過去のニュースになっても遺族にとっては大切な家族を失ったことに変わりはありません。
まとめ
坂本九が犠牲となった日本航空123便の飛行機事故は当時の航空業界全体に大きな影響を与えましたが、2017年8月12日、奇しくも日航事故と同じ日に路線も同じ羽田発伊丹行の全日本機がエンジントラブルによって羽田に引き返すということがありました。幸い、この件では無事に緊急着陸できましたが、墜落事故はもう起こらないで欲しいと願わずにはいられません。