アフガイスタンで人道支援に取り組んでいたNGO「ペシャワール会」の現地代表である中村哲医師が銃撃を受け亡くなった事件。衝撃を受けた現地の人々だけでなく、日本で生活している在日アフガン人にも悲しみが広がっています。
中村医師はアフガニスタンで飲料水・灌漑(かんがい)用の井戸事業を始め、農村復興のため大がかりな水利事業に携わっていました。その長年の功績が称えられ、2018年2月にはガニ大統領から国家勲章が贈られています。そんななか、悲しいニュースが飛び込んできた12月4日。アフガニスタン東部で中村医師が乗っていた車が、移動中に武装集団に襲われ殺害されたというのです。中村医師の他にアフガン人運転手や護衛の5人も亡くなったことがわかっています。
首都カブールでは、中村医師の死を悼む人々が集まり、中村医師の写真に花を手向けました。また、12月5日には中村さんへの追悼を示すためにアフガニスタンで国内線や国際線を手がけるカーム航空が航空機の尾翼に中村医師の肖像画を掲げた写真をFacebookに投稿しました。この写真には、ペルシャ語で「アフガニスタンの人々のために奉仕してきた人物が、残念ながら活動中に亡くなりました。故人となった中村医師、アフガニスタンの人々はいつまでもあなたの貢献に恩義を感じることでしょう」とコメントが添えられており、ネット上で話題となっています。
12月7日にはカブール空港で追悼式が行われ、8日、中村さんの遺体は家族とともに成田空港に到着しました。すると、ロビーでは在日アフガン人約60人が集まり、直接、中村さんを見送れなかったものの、空港の駐機場でひつぎに黙とうを捧げたといいます。バシール・モハバット駐日大使は記者のインタビューに答え、「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と英雄の死を悼みました。
また、「感謝と謝罪の気持ちを伝えたい」と花束や中村さんの写真を手に集まった在日アフガン人たちにも今の心境を尋ねると、「私たちは中村先生の命を守れなかった。遺族と日本人に申し訳ない。ごめんなさい」と語り、「先生のおかげで多くのアフガン人が助けられた。先生みたいな人はいない」と感謝の思いを繰り返し述べました。
こうしたニュースを受けて、ネット上では「こうした方がノーベル平和賞をとるべきだったのではないか」「恥ずかしい事ですが、ほとんど知りませんでした。」「悲しいことだが、多くのアフガニスタンの方々の心に彼の努力と意思が響いたのは喜ばしい」「彼の話は必ず教科書の教材として後世の日本人に伝えるべき。」「中村哲さんもご遺族の方も、少しは浮かばれるでしょうね。素敵な肖像画です」「中村先生の思いが世界に繋がりますように。」などの中村医師を忍ぶコメントが寄せられていて、悔しくも今回のニュースを通して多くの人々の心を動かしたことはまちがいないでしょう。