演技派の俳優として知られる吉岡秀隆といえば、「北の国から」の純として多くの人の人気を集めていましたが、現在でも役者として、映画やドラマで活躍をしています。また吉岡秀隆は、尾崎豊の数少ない友人の一人としても知られています。ここでは、そんな吉岡秀隆についてプロフィールや経歴、話題の尾崎豊との関係についても紹介していきます。
吉岡秀隆【プロフィール】
写真:entertainment-topics.jp
本名:吉岡秀隆(ヨシオカ ヒデタカ)
生年月日:1970年8月12日
出身地:埼玉県蕨市
血液型:A型
吉岡秀隆の【来歴】デビューのきっかけ・現在の活動
写真:everyday-e-news.com
吉岡秀隆は、5才で劇団若草に入団しました。その後すぐに、テレビ時代劇の「大江戸捜査網」でデビューすることになります。また1977年には、映画「八つ墓村」の中で、主人公の荻原健一が演じる寺田辰弥の少年時代を演じることで、映画の初主演を果たしました。その後、「遥かなる山の呼び声」という映画の武志役のオーディションに出場し、そこで山田洋次監督の目に止まり、「男はつらいよ」シリーズの27作目である「浪花の恋の寅次郎」から、最終作、そして特別篇に出演し、寅次郎の甥の満男の役で活躍しました。さらに、渥美清が病気のために派手な演技が難しくなってきてからは、登場シーンも増えて事実上の主役を演じてきました。以降は、1981年から2002年まで、フジテレビの看板シリーズのドラマで国から」に黒木純の役でレギュラー出演するなど、俳優としても活躍中です。
吉岡秀隆の【性格・エピソード】
写真:oricon.co.jp
吉岡秀隆といえば、優しい声と柔和な表情が印象的で、どことなくフワっとした雰囲気のイメージがありますが、実際の性格は真面目で負けず嫌いの性格だったようです。というのも、子役時代の頃からプロ精神が強く、監督が要求している役どころを上手く演じられなかったりすると、悔しくて泣いていたほどだったようです。さすが、天才子役と呼ばれただけのことはあります。一方で、学校でも負けん気が強く、よく喧嘩をしていたという噂もあります。この他にも、2005年に公開になった「四日間の奇蹟」という映画の収録した時のエピソードにこんなものがあります。それは、ピアノ未経験者の吉岡秀隆が、7分間にも及ぶベートーヴェンの「月光」という曲をイチから暗記し、繰り返し練習して習得、劇中で実際に吉岡秀隆本人がベートーヴェンの「月光」をピアノで弾いたというから驚きです。
【噂話その1】吉岡秀隆は尾崎豊の親友だった!? 気になる吉岡秀隆と尾崎豊の関係を紹介!
写真:matome.naver.jp
噂によると、吉岡秀隆は尾崎豊の数少ない親友だったようです。二人の出会いは、吉岡秀隆が尾崎豊の曲が好きで、自ら会いに行ったことから始まったそうです。中学3年生の時にアルバイト先でたまたま聴いた、尾崎豊の「シェリー」という曲に鳥肌が立つほどの衝撃を受けたそうです。そこで吉岡秀隆は、尾崎豊のテレビ出演が決まっていたフジテレビ「夜のヒットスタジオ」の楽屋に訪ねて行ったというのが、二人の出会いとなったらしいのです。また、尾崎豊も当時のスタッフに向かって、「あいつはいい役者だ。吉岡はいい。あいつは気になる」と話していたそうです。当時、尾崎豊は吉岡秀隆を弟のように可愛がっていて、友人やスタッフに紹介する時に「弟だ」と紹介するようになってきており、紹介された友人は、本当の腹違いの弟だと思っていたそうです。
【噂話その2】 吉岡秀隆が尾崎豊のために曲を作っていた!? 2人の意外な関係とは?
写真:girlschannel.net
1994年に、吉岡秀隆は映画「ラストソング」で主人公の歌手を演じました。この時に吉岡秀隆は、尾崎豊に捧げる曲を作曲し発売したのだとか。また、この映画で吉岡秀隆が演じた役が、尾崎豊を意識していると話題にもなりました。また、「ラストソング」という映画自体が、吉岡秀隆が尾崎豊の影響を受けて作ったとか、尾崎豊と関係があっただとか、尾崎へのオマージュだとかいうような取り上げられ方を当時されていたようです。実際の映画では、満員の観客の前でステージに立つ場面が一つの見どころで、それを体感するため吉岡秀隆は、「ラストソング」に主演した時、自ら作詞・作曲を行い劇の中で歌を披露したのだそうです。
まとめ
ここでは、吉岡秀隆と尾崎豊の気になる関係についてまとめましたが、いかがでしたか。一見、接点がないかのように見える二人ですが、実は兄弟のように仲のよい親友だったというから驚きです。 そして、尾崎豊の死後、吉岡秀隆は尾崎豊に捧げる曲を作り発表したのです。その後吉岡秀隆は、 日本を代表する俳優となったのです。